2012年01月08日

吾妻橋からのスカイツリー


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posted by ぜごん at 08:42| 広島 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 記憶の断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月04日

634mになったスカイツリー

2011年12月25日撮影。
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posted by ぜごん at 20:33| 広島 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一年のブランクを超えて

ちゃんと生きてますよ!
ブログから離れていた2011年、TwitterやFacebookが面白くなってきた。
結婚もした。634mになったスカイツリーも見てきた。
このブログ、スマホからも書き込めるようなので、また気が向いたら時々近況報告します。
posted by ぜごん at 20:24| 広島 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月20日

初めて見たスカイツリー

12月11日、12日は職員旅行で東京に行った。
幹事さんの発案で「三大タワー競演」なるタイトルで横浜ランドマークタワー、東京スカイツリー(バス車窓のみ)、東京タワーの三ヶ所をバスで巡る、というもの。
東京スカイツリーは格好良かった。浅草での自由時間の時、ひと駅東武線に乗って、業平橋で降りてみた。ホームに降り立つと、すぐ目の前がスカイツリー建設現場だった。
そこから川沿いの道は見物客でいっぱい。足下の表示には「東京スカイツリー 現在の高さ 511m」とあった。完成すると634mになる、というから約80%の高さ、ということになる。待ち合わせの時間が近づいてきたため、そそくさと電車に乗り浅草に戻った。

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これが浅草の吾妻橋から見たスカイツリー。アサヒビールの本社ビルやたいまつの奧にある。
家に帰って以前父と行ったときの写真を探してみた。これがその写真。

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2007年の11月25日、父が亡くなるほんの10日前、一緒に水上バスに乗ったときの待合室での写真。スカイツリーがないだけであとは何も変わらない。これが父と行った最後の旅行らしい旅行となってしまった。

それから3年。あの巨大なスカイツリーを見ただけでも時間の流れを感じる。
posted by ぜごん at 23:56| 広島 雨| Comment(14) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月30日

竹灯りに誘われて大分・臼杵へ

11月6日・7日に大分県臼杵市で開催された、「うすき竹宵」に行って来た。

去年の職員旅行で同僚の人と臼杵市を訪れた際、パンフレットなどでこのイベントのことを知り、ぜひとも訪れたいと思っていた。

東広島駅を朝早い新幹線で出発し、小倉駅で水戸岡鋭治氏デザインの883系・特急ソニックに乗り換える。乗車前に名物のかしわ飯を買い、九州の遠い山並みを眺めながら食べた。

別府駅で特急にちりんに乗り換えて、臼杵駅に着いたのは午前1時過ぎ。ここでパンフレットを入手。昼間のうちに各ポイントを押さえ、午後5時の点灯時間を待った。

八町大路という、市内の目抜き通りには飲食スペースが設営されたり、各商店ではこのイベントにちなんだグッズを売ったりと盛り上がっていた。そして4時半も過ぎると何やら一斉に盛り上がり始めた。

そこからはめくるめく竹灯りの世界。市を挙げてのイベントで、どのオブジェも素晴らしかった。旧真光寺の室内に設けられたオブジェの見学には長い行列が出来、40分待ちだった。

竹原市の「憧憬の路」はこのイベントを参考に始まったと聞く。ただ臼杵の場合は14年目を迎えてなお衰えを知らず、すっかり市民のまつりとして定着しているのだ。第1回(2003年)から第8回(2010年)まで、何らかの形で憧憬の路に関わっている自分としてはこの臼杵の情景こそまさに「憧憬=あこがれの風景」だった。

その日は大分の東急インに泊まり、翌朝別府温泉にちょこっとだけ浸かり、門司港のレトロラインで海風を感じつつ、鉄道記念館にも立ち寄って足早に帰ってきた。去年の1日と、この2日間を通して、縁もゆかりもない臼杵の町が自分に身近な存在として急接近してきたことだけは事実である。
posted by ぜごん at 22:45| 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

雨の中のロウソクの火

10月30・31日で「憧憬の路」が開催された。僕は町並み保存センターの裏にいたが、時々写真を撮りに出かけたりして、あまり真面目にお手伝いしていたとは言い難かったかも知れない。

31日は朝から雨だった。午後4時半を過ぎた頃、多少小雨になったので、少々早かったが一緒の人と申し合わせて点火をすることにした。時折雨のしたたる中、点けては消え、点けては消えを繰り返しているうちに、あることに気が付いた。

どうも、消える原因というのが降ってくる雨のせいばかりじゃない、ということだ。降ってくる雨が火に当たって消えることは少なく、むしろロウソク本体に付いた水滴に火が当たったり、燃えているうちにそこまで達することが原因で消えているようなのだ。

だからチャッカマンの炎を多少長めに芯に当て、周りの水滴を蒸発させるようにして点火するとロウソクの火が比較的長持ちすることがわかった。

考えてみると人生というのも似たようなもので、外から降りかかってくる災難ばかりを気にする傾向にある。もちろんそれから身を守ることも大切であるが、実は自分の身の回りのこと、自分の内面の湿っぽい部分がうまく行かない原因だったりするのかも知れない、深まる秋の空気の中、そんなことをふと考えていた。
posted by ぜごん at 23:52| 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

秋風の記憶

日曜日、久し振りに家にいて昼食後ウトウトしていていた。

夢の中で、昔父と登った石川県羽咋市近くの宝達山にいた。
能登半島の付け根のあたりにある山だ。

山頂まで上がると、西側に海岸線が見え、日本海が白波を立てていた。
山の中に入っていった父がアケビの実を取って戻ってきた。
それを食べるとバナナのような甘い味がした。しかし種が多い実だ。
父と弟と一緒に、食べては種を吐き出しつつ、いつまでも波の打ち寄せるのを見ていた。
時折通り過ぎるのは国鉄七尾線のディーゼルカーだ。
視線の向こうには能登ロイヤルホテルの白い建物も見える。

これは夢だよな。夢にしては鮮明すぎる。そんなことを考えながら目が覚めた。
窓からはさわやかな秋のそよ風。その風がキンモクセイの香りを運んできた。
もしかしたらその香りが30年近く前の記憶を呼び覚ましたのかも知れない。
posted by ぜごん at 21:55| 広島 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月31日

8月の終わりに

明日から9月。例年通り失意の9月。異常な暑さは今なお続いているが、8月も下旬となるとすでに秋の虫の大合唱が始まった。彼らはきっと冬の到来からさかのぼって、自分達が鳴くべき時を見定めているに違いない。

暑いから、苦しいからと自分の鳴くべき時を見誤っていると、いずれ時代から取り残されてしまう。すでに発車のベルが自分の中で鳴り響いている。そろそろ潮時なのか。
posted by ぜごん at 23:10| 広島 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月30日

猛暑の中、年金について考える。

『32年前死亡か 部屋に新聞 111歳男性遺体』

こんなニュースがテレビの中を駆けめぐっている。
この人は明治32年生まれだそうだ。

うちの母方のばあちゃんは明治33年生まれ。
平成13年に100歳で亡くなっている。
ということは婆ちゃんが生きてたら110歳なのか。

この10年で世の中はすっかり変わった。
100歳だけど大相撲で関取の名前はほぼ完璧に覚えていた。
98歳くらいまで台所に立っていた。
今の相撲界の不祥事を見たら何て言うだろうか。
100歳になった年の敬老の日、市長さんから記念品を贈られている写真が地元新聞に載った。この市長さんももうこの世の人ではない。

32年間、家族はどんな思いで押し入れの中の実の親を隠し続けてきたんだろうか。
時々恐る恐るチラ見してたんだろうか。想像するたびゾッとする。

読売テレビの辛坊さんが以前指摘していたように、年金受給の権利が失われるのを恐れて何十年も家族が死亡届を出さずにいる、といった事態はまだまだ探せば出てくるのかも知れない。

仕事で良く話をするお客さんは現在70歳代であるが、若い頃サラリーマンをしていて、その技術をもとに独立開業した。昔はそんなに年金年金と言わない頃で、気がついて掛け始めたときには遅く、遡って払っても受給には数年足りない状況だった。そんなとき社会保険事務所に行って加入履歴を調べたが、昭和30年代に勤めていた会社の履歴が3年ほどなかったのだ。

本人曰く実力を買って引き抜いてくれた人で、意図的に掛けない、というようなことがあるはずもない。定かではないが給料から天引きされていた記憶もある。その後息子さんが経営している山口県のその会社に問い合わせたのだが、もう既に資料と呼べるものは残っていなかった。第三者委員会にも相談をしてみたが、うまくまとまらなかった。

今は不景気で親会社から単価を極限まで下げられて営業を継続することも容易ではなかった。いつまでも「あるはずの権利」にしがみついている暇はなかったのだ。最終的に彼の下した判断は今の事業を法人化し、68歳になっても、69歳になっても掛け続けてとりあえずの受給権を確保する、といったものだった。それで今何とか年金をもらっている。

「消えた年金」の問題にしても今回の事件にしても行政がしっかりしていればかなりの部分で防げたに違いない。
あと、25年の要件もいくらか緩和して、もっと掛けた人が報われるような制度にしていかなければ、未納の問題も解決しないと思う。
正直言って、年金の免除者のために税金がどんどん注ぎ込まれるのも自分はあまりいい気がしていない。
何か画期的な解決方法ってないもんかね?
posted by ぜごん at 06:39| 広島 曇り| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

CATVのセットトップボックス

うちの市でやっているケーブルテレビでBSデジタルを見るためにはセットトップボックス(以下STB)という機械を付けなければならないらしい。
その機器のレンタル料がこの4月からを月1,050円から525円に下がったというので、先週ケーブルテレビに電話をして取り付けを依頼した。

土曜日の昼、ケーブルテレビと契約している近所の電気屋さんが取り付けに来てくれたのだが、STBという機械は、たちまち(広島弁)BSデジタルを見るためだけの機械らしい。テレビやDVDレコーダーとは連動しておらず、録画するにはSTBからDVDレコーダーなんかに一旦出力して、見たい番組の時間に合わせてSTBを起動し、それに合わせてDVDレコーダーも外部入力から録画するように予約しなくてはならない。(つまりはSTBとDVDレコーダーを同時起動、という面倒なことをする必要がある。)
それでもデジタル画質では録画できないようだ(アナログのテレビ並み。普通に見る分には充分な画質だった。)
テレビのリモコンに付いてる「BS」のボタンを使ってBSデジタルを見たりするにはやはり別にBSアンテナを付けなければならないようだ。

ただ月525円の追加でこれだけのチャンネルを視聴できるのは魅力的である。
posted by ぜごん at 21:28| 広島 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする