2006年07月20日

二十歳の頃・1992年夏(その5)

1992年7月31日夕方

夕食は人人大酒楼というところで食べた。10元分(当時一元は25円)チケットを買って、餃子とシチューの乗ったご飯、ペプシコーラを買う。ペプシは炭酸がシャッセ(当時日本で売っていた微炭酸のジュース)以上に薄い。C(留学生)に菜っ葉の入った包子をもらった。味は薄いが自分好みの味である。食後にミリンダを頼む。中国語で「メイネンダ」と言うそうだ。

天安門広場に着くと、兵隊が並んでいて、周りを民衆が取り囲んでいた。見ると国旗を降ろしているところだった。その後天安門がライトアップされる8時過ぎまでそこにいた。

地下鉄のホームの柱に所々水墨画のような絵が掛かっていた。

8月1日 八達嶺の長城へ

タクシー代 350÷4人=88元
長城    5角
絵はがき 5元
トイレ   1角
ミネラルウオーター 4元
十三陵 11元
切手代 1.6元×5=8元
昼食代 26元
夕食代 14元ほど
デイパック 26元

・長城の坂がきつい。外国人もかなりいる。山の稜線に沿ってどこまでも続く城壁。
・北京ビールを飲んだ。独特の味。
・夕食はホテル前の屋台で食べる。羊の串刺しの香辛料は薬草のような香り。炒飯は油っぽい。椰子汁は甘くて美味しい。
・途中に李自成の像
__________

ほぼ原文のまま記したが、見る物聞く物すべて面白くて仕方がなかった。
天安門広場というと、この3年前にいまわしい事件が起こったばっかりである。
学生が戦車の前に立ちはだかって・・・というような映像がテレビ画面に度々映し出されていた。
高三の受験生の頃だった。

しかしこの時はすっかり平穏を取り戻していた。
兵隊とC(留学生)は何やら談笑していた。
後で聞くと、Cの持っていたカメラを見て「いいカメラだね。」とか言っていろいろ機能など聞かれたのだという。

3年でここまで変わるものなのか。
今は2006年だから、この時から既に14年の時が流れている。

(つづく)
posted by ぜごん at 20:23| 広島 ☔| Comment(0) | TrackBack(2) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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