2006年07月24日

二十歳の頃・1992年夏(その7)

1992年8月2日

ホテルは燕京飯店というところに取っていた。
三ツ星だが、最低限の設備はあった。

十何階だか、結構高いところの部屋になった。
道路を挟んだ向かいは建築現場の槌音が響いていた。

この日はみんなで相談して、昨日行った万里の長城よりちょっと先の、モンゴル風のパオなんかが置いてある康西高原ということにしたのだった。ホテルにそれらしい写真が置いてあった。

C(留学生)に頼んで、空港から市内に入る時に利用したタクシーの運転手(気のいいおばちゃん)に連絡をしたのだった。
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・朝7時出発で例のタクシーの姉ちゃんに乗せていってもらう。長城を過ぎるころ霧のような雨。城壁を越えると一面のトウモロコシ畑で、道がずっとポプラのような並木道。時折ロバの荷車とすれ違う。NHKの『シルクロード』に出てきたような市場がチラッと見えた。

・康西高原は完全に観光地化されたモンゴルである。車から降りてしばらく歩く。いろんな人が話しかけてくる。とたんに30人ぐらいの人がいっせいに押しかけてきて、何か必死に言っている。馬に乗せてくれるという。もちろん商売である。C(留学生)に交渉してもらい、行き20元、帰り20元ということになった。馬に乗るのははじめてである。前で馬の手綱を引っ張っている人が付いている。多少揺れるがなかなか乗り心地がよい。横を現地の人が3人ぐらい、馬に乗って猛スピードで通り過ぎる。

・20分ほどで立ち止まり、馬を引く人が何か言ってきた。留学生に聞くと、僕たちが外国人ということでさらに100元要求していたというのだ。これまた交渉して、一人当たり5元ということでおさまった。馬の行く先は官庁湖という沼のようなところである。船は下の絵のような形をしている。これは10元だが、船頭の人はなかなかやさしい人で、本来の時間を延長して写真を撮らせてくれたりした。

boat.jpg

・Cと船頭さんはいろいろ話をしていた。時々訳してくれたが、その内容を書くと、

 ・湖の向こうは葦がいっぱい生えている川になっていて、三国志などの時代には葦が隠れるのに役立っていたということ。
 ・晴れた日にはここでも泳ぐことが出来、女の子でも躊躇せずに泳いでいる、ということ。
 ・湖の向こう側には売春宿があり、2時間あればそこへいくことが出来る。しかも危険ではない。
 (ここでCは「一人で来たら行っていたのに。」としきりに言っていた。)
 ・向こうに見えるのは三国志の劉備の城である(映画のセット)、ということ。

以上のようなことが書いてあった。

ここでこの日のメモは切れている。
(つづく)
posted by ぜごん at 00:37| 広島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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