2006年07月30日

二十歳の頃・1992年夏(その9)

1992年8月3日

帰りのタクシーの中でCが運転手となにやら話していた。
あとで聞いてみると、どうやら大同行きを交渉していたらしい。

しかし直線距離にして500キロである。
まさかタクシーで行く、という発想はなかった。

金額を聞くと、(記憶が定かではないが)1人6〜7千円×4人×2日間ぐらいだったと思う。
これくらいなら出せないこともない。
僕も、他の二人も何とか了承した。
Cは喜んで、運転手の毛さんに連絡を取った。

出発は午後1時。ホテル前で待ち合わせと決まった。
ホテルの食堂で軽い食事を取り、全ての荷物をまとめて、フロントを抜けた。
さっき乗ったクラウンが僕らを待っていてくれた。

ここからはメモを引用していくことにする。
_________________________

・大同までの道。一面のトウモロコシ畑。畑のところどころにヒマワリの花が混じっていて、まるで蝶か鳥が舞っているよう。日本のような景色があったかと思うとふっと現れる民家はやっぱり中国。

・道の端に赤土の丘があり、十数個の穴があった。運転手の話では、あれは中で焼き物を作っているのだ、ということだった。
・石炭の採掘所がある。
・道の横を羊飼いと羊の群れが通り過ぎていく。
・車が止まった。何台か追い越して前のほうへ行くと、その先に踏切があった。右には重化学工場が赤い煙を吐いていた。1台の電気機関車が踏み切りの真ん中へんで止まった。どうやら信号待ちをしているらしい。その間にも自転車が何台か遮断機をすり抜けて通っていた。待つこと約30分間。しびれを切らした車が次々と追い越しながら踏み切り前で3列ほどの列を作っていた。右側に見える工場の金網の中に一本の線路があり、石炭を運ぶ貨車が通り過ぎて行った。最後尾を蒸気機関車がシュッシュッシュッと音を立てながら後押ししていた。ようやく前の電気機関車が通り過ぎ、踏切が開いた。

このあたりのことは以前も書いている。(だいぶダブってはいるが。)
http://zegon.seesaa.net/article/7826674.html

・その後はデコボコ道が続いた。石炭を積んだトラックと何台もすれ違う。
・夕暮れ時で自転車が多い。町の中心部に入ったらしい。「宣化県」と書いてある。あちこちでスモモや瓜のようなスイカを売っていた。
ロバや馬を使って荷物を引く人が多かった。
・町を外れてしばらくすると、前のトラックの後ろの金具の所につかまって自転車に乗っている人がいた。(金具につかまっていれば漕がなくていい分楽、ということらしい。)
・時々トラックが気づいてスピードを出すと追いつけなくなって離れ、また全速力で追いついていって、を何度も繰り返していた。こういう人をよく見かけた。
・暗くなった。「飯店」の名のついた家がいくつもある町に入った。(個人経営のドライブインみたいな感覚のようだ。)
・中心部にテント小屋があり、運転手は「あそこでサーカスをやっているのだ。」と言った。ポプラ並木の中を車は走り抜ける。外灯も何もない。
・下の絵のような「飯店」を何十、何百と見かけた。標識を見ると大同までの距離がだんだん短くなってきた。(つづく)

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posted by ぜごん at 21:26| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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