2006年08月07日

二十歳の頃・1992年夏(その10)

大同への道はさらに続く。

道中、留学生のCとはいろんな話をした。
彼は顔立ちはほとんど日本人と変わらない。

母国語のマレー語のほか、北京語、日本語、あと英語を少し話す。
大学に来る前に日本語学校に1年通っていたそうだ。

もともとは中国から渡ってきた華僑の子孫だった。
メモはさらにこんな感じで続いている。
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Cの祖父→1917年に広東省からマレーシアに移住(華僑)。
もとは「蔡」姓であったが、集落同志の争いに敗れ、「C」に改姓。

戦時中、儲けた金を土の中に埋めておいたが、日本軍が来た際、全て掘り起こされてしまった。

シンガポールは1962年に独立。

普通、華僑というと、本土にいる親類に金を送ったりするものだが、Cの親類はみな渡ってきている(つまり本土にいない)ので、その必要はない。

Cの祖父は亡くなる15年前から地方(今でいう認知症)となり、麻雀に明け暮れる毎日。
そして、晩には近所の人に家まで送ってきてもらっていた。
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戦時中日本人はこういったアジアの人に酷いことをしたらしいが、彼にとってそれは過去のことのようだった。
それより日本には学べるものが沢山ある。それを貪欲に吸収しようという意識がつぶさに感じられた。

「お姉さんの旦那さんが電機メーカーに勤めていて、いつも日本の製品を仕入れてきては分解して仕組みを調べてる。」
そんなことも言っていた。

「ルック・イースト政策」だったか、マレーシアはこの頃から「日本や香港、台湾など東の先進国に習え。」的な方針を打ち出している。

「こりゃそのうち日本は追い抜かれるんじゃないか。」
西へ向かうタクシーの中でそんな風に思わずにはいられなかった。

(つづく)
posted by ぜごん at 18:54| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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