2005年07月22日

極私的しまなみ案内瀬戸田編3

元町長さんの話はさらに続く。

「来年のしまなみ海道開通により、交流時代は必ずやってきます。その時には瀬戸田町の一人勝ちではなく、周辺市町村との協調が必要となってくると思います。瀬戸田町は古くから海運が盛んであり、海路の要衝として、また港町として発展した経緯からも、旅人への「もてなし」は伝統的に身につけており、外部の人から瀬戸田町の人は親切であるとよくお褒めの言葉を頂いております。あと10〜15年経って大国際観光時代を迎えるにあたって、それに通用する地域づくり、住民教育にこれからも取り組んで行きたい。」

そう言って最後は締めくくられた。
「人情の美の創出(サービスこそもっとも大きな観光資源)」は先に書いた岩切賞の観光基本理念の一つでもある。

その後、平山郁夫美術館を見学した。

http://www.hirayama-museum.or.jp/

和気氏は町長を退任された後、しばらくここの館長をされていた。
奈良薬師寺の玄奘三蔵院絵殿、池上本門寺、新国技館、京都四条の南座の改修などを手がけられた今里隆氏の設計、ということで、重厚な建築がひときわ目を引く。

年に数回、企画展が行われるほか、日本画家で東京芸大学長も務められた平山郁夫氏が瀬戸田で生まれてから現在までの略歴、幼い頃からのスケッチを含めた作品、シルクロードをたどった道のりなど、順を追って見学できるようになっている。

瀬戸田編は最後に多々羅大橋を紹介して終わりにしたいと思う。

この橋は斜張橋としては世界一の長さを誇る。
本州四国連絡橋の3ルートは全て渡ったことがあるが、ここのロケーションといい、橋の形状といい、一番好きな橋だ。

本土からだと尾道から三原へ向かう国道2号線や、三原から呉へ向かう国道185号線からでも見ることができる。
県境の橋で、ここを渡ると大三島、愛媛県今治市である。


tatara.jpg
(写真は大三島側から撮ったもの)
posted by ぜごん at 06:50| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内の奥深くへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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