2016年07月30日

過去との決別という意味での東京スカイツリー。

大学受験の合間に浅草の吾妻橋に来てみたときも、父が単身赴任していた時、一緒に日光に行った時も全く同じ風景が広がっていた。唯一違うのがスカイツリー。2007年に父が倒れて帰らぬ人となったとき、しばらく東京にも行くことも出来なくなった。そんなさみしい気持ちを吹っ切ってくれたのがスカイツリーである。これが父の死後、何年もかけてゆっくりゆっくり伸びていくことで気持ちの整理がついた、というか、過去と決別することができたと思う。今はスカイツリーが昔からそこにあったかのような顔をしてそこに立っている。
2016.7.30 隅田川花火大会の余韻覚めやらぬ吾妻橋のたもとにて。
DSC_4718.JPG
posted by ぜごん at 22:18| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月02日

父の行きつけの店

父が単身赴任で横浜に行く前、ちょっと飲みに行こうと繁華街へ誘ってくれた。
父の行きつけのバーは新天地あたりにあり、中に入ると着物を着た清楚なママが出迎えてくれた。
僕がたま〜に誘われていく田舎のお店とは全く違う雰囲気だった。
「こいつ、息子だよ。」と父はママに紹介してくれた。
俳句の先生でもあり、父は覚えたての携帯メールでママから指導を受けていた。
この交流は横浜に行ってからも続いていたらしい。

帰りがけ、また広島に帰ってきたら行こうな、と父は僕に言った。

単身赴任中、ちょっとした体調の変化で父は帰らぬ人となった。
運命なんていつどうなるかわからない。
ママは広島で催された父のお別れ会にも来てくれたが、少し年老いて見えた。

父とまたそのお店に行くという約束は、とうとう叶わなかった。
posted by ぜごん at 12:37| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月16日

今朝のラジオでサザンのミス・ブランニューデイ

この曲が流行ってた頃、父と広島駅前を歩いているとオープンカーが通り過ぎた。
カーステレオから流れてきたメロディがこの曲で、ドライバーはサングラスをかけて首を左右に振りながら一緒に口ずさんでいた。
さわやかな夏の陽気で、すっかり曲に入り込んでるようだった。
それを見ていた私と父は大笑い。

オーミス・ブランニューデイ、みな同じ素振り〜、
オーミス・ブランニューデイ、誰かと似た身なり〜
教えたままの仕草に酔ってる〜
しなやかと軽さをはき違えてる〜

そんな歌詞が頭に浮かぶ。街を歩くと30年前から何も変わってない。
posted by ぜごん at 20:00| 広島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月24日

学生時代のクリスマスイブ

学生時代、小さな回転寿司店でアルバイトしていました。クリスマスイブともなると、向かいのケーキ屋さんはたくさんのお客さんで賑わっていました。バイトの女の子たちが卯木の予定があるので次々帰宅したあと、閉店時間を迎えます。店長は余った食材でちらし寿司を作り、ケーキ屋さんの店主に「お疲れ様」と持って行きます。その後引き換えに売れ残りのケーキを沢山持って帰ってきました。それを最後まで残っていた私にくれて、店長は奥さん以外の女性に会いに夜の街に消えて行くのでした。私の方は家に帰り、深夜、明石家サンタを見ながらケーキをパクつきながらふて寝、というのが学生時代のクリスマスイブ。何年か前にそのお店に行ったけど、向かいのケーキ屋もあわせて他のお店に変わってたなー。さみしい限り。
posted by ぜごん at 19:49| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

2009年、旅の回顧録

2009年最後の日に、今年の旅の回顧録など。

1月。出張で福井県の鯖江市と小浜市へ。焼き鯖寿司を食べる。あのオバマ饅頭も買ってみる。その後特急サンダーバードで金沢へ。17年ぶりの金沢。到着後トワイライトエクスプレスに遭遇。駅で小学校時代の恩師と待ち合わせ。新鮮な日本海の魚介類を沢山頂く。翌日、金沢城公園から兼六園へ。すっかり変わってしまった金沢城の坂を上がる時に思わず涙する。ここは以前、亡き父の職場のあった土地。その後ひがし茶屋街へ。昔は東山の廓街と言っていた辺りだ。近くにある七稲地蔵にも昭和58年以来26年ぶりに行ってみる。その日の夜は富山に行き、旧友と25年ぶりの再会。富山駅前の料理屋で昆布じめを頂く。翌日は金沢市の野田山墓地に行き、うちの代々のお墓を探すが、見つからず。福井に住む親戚に連絡を取ったり、付近の墓守の家を数件尋ねるが分からなかった。思わぬ宿題を残したまま、金沢を後にする。

8月、今年は水上バイクに乗る機会が2回あった。一回目は今年で13回目を迎えるあるイベントの模擬走行のため、瀬戸内のど真ん中、大崎上島付近を航行(僕は後ろで頼りないナビ)。その日は大久野島で昼食、メンバーの方たちとゆっくりとした夏の日を過ごす。

9月、そのうちの一人の方に誘われて、明神港から一路三原市の佐木島へ。ここである競技大会を見物。行く道中、海から見た幸陽ドックの巨大なタンカー群の迫力。

10月、仕事の研修で東京へ。東大和市の寮で一週間。久々の友人との再会。こちらで働く高校の友人と新宿NSビルの「ごだいご」で食事。また、大学の友人と久しぶりにキャンパスを歩く。

11月、今度は出張で和歌山市へ。昼食は大阪のがんこ寿司経営のがんこ和歌山六三園というところ。ここは船場で一旗あげた和歌山出身の相場師が63歳の時に建てた、とのこと。特に庭がすばらしい。市内の優良企業を2社訪問した後、貸切バスを飛ばしてもらってその日のうちに白浜町へ。白良荘というホテルに宿泊。翌日は円月島、熊野古道経由で熊野本宮大社、熊野速玉大社に参拝。めはり寿司とさんま寿司。紀伊勝浦駅から特急くろしおに乗って新大阪までは4時間。途中串本手前で橋杭岩が見える。海の向こうに沈む夕日が素晴らしかった。

同じく11月、ふたたび東京へ。東京国際フォーラムで行われたある行事のため。宿泊は浅草橋の東横イン。翌日墨田川沿いを歩く。映画「容疑者Xの献身」の撮影で登場した浜町公園に偶然遭遇。紅葉した銀杏並木が美しかった。その後10月に行った国立博物館の皇室の名宝展の第2部を見学。

12月、職場の旅行で大分・別府へ。関アジを頂く。美味しさよりあの歯ごたえ。普段あまり口にしないそば焼酎の味。翌日、同じ職場の人と臼杵市へ。臼杵石仏は圧巻。ハヤトウリを初めて見た。途中、現役で稼動している世界一の醤油樽を見物。その後町並みを見学。ここは11月に毎年「うすき竹宵」というライトアップイベントが行われている辺りだ。親切な観光ボランティアの方に町内を案内していただく。町の人たちが一体となって盛り上げて以降、という姿勢がいたるところで見られ、羨ましかった。その後別府駅前で名物の鳥天を頂く。から揚げとはまた違った美味しさ。

30代後半だけど、まだまだ日本には知らない美味しいもの、素晴らしいものがいっぱいあるね。旧友との再会、また思いがけない出会いもいろんな意味で良い刺激になった。旅行以外にもいろいろあるが、また追い追い紹介していきたい。
posted by ぜごん at 21:01| 広島 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

クレーンのある風景

おととい仕事で呉に行っていた。
電車で行こうとも思ったが、時間があまり良くないのでマイカーで行くことにした。

先週までの雨がうそのように晴れて、初秋の柔らかな日差しの中、対岸の島もくっきり見えてとてもいい感じ。
安浦のあとのトンネルを抜けると川尻の神田造船が見える。

いつものように建設中の巨大な船のまわりをクレーンが取り囲んでいる。

そういえば、通っていた広島の中学からは、江波の三菱重工のクレーンがいつも見えていた。
あの頃ちょうど瀬戸大橋の橋げたをあそこで作っていて、新聞などでも紹介されていた。

当時、窓際の席で、授業はそっちのけで教科書やノートにクレーンや橋げたを書き写していた。
毎日見ていると、日に日に橋げたが大きくなり完成していく。

クレーンも一台ではなくいろんな形のものが(たぶん台船があってその上に設置されているんだろうと思う。)、とっかえひっかえやってきた。

やがて橋げたもどこかに行ってしまい、中学を卒業する頃にはそのことも忘れていた。
そして高校2年の4月、瀬戸大橋は完成した。

その後、電車でも自動車で何度も渡っているが、いつもその巨大さに圧倒される。

setoohashi.JPG

その昔、弘法大師が悪さするキツネを四国から追い出して、「鉄の橋が出来るまで帰ってくるなよ。」と言ったらしい。
それは到底無理なことの例えで言ったのだと思うが、いまやその「不可能なもの」が完成してそこにあるのだ。人間ってすばらしい。

帰りに呉駅の南側を少し歩いてみたが、「レクレ」という温泉やショッピングセンター、飲食店などの複合施設が出来ていた。

http://www.kure-recre.com/

ゆめタウンや大和ミュージアムとも歩道橋でつながっていて、行き来できるようになっている。
その日は仕事できていたのでとんぼ返りだったが、休日に来てゆっくり一日でも楽しめそうだ。
posted by ぜごん at 21:02| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

読書富士登山

小学校6年の時の担任の先生が、「読書富士登山」というのを生徒に推進していた。

B4くらいの用紙に四角が富士山の形に積み上げられた絵が描かれている。
そして、本を5ページ読むごとに四角をひとつ塗りつぶしていく。
四角の数は755。これに5をかけると3775ページ分。最後に旗を持ったひとの形が頂上にあって、1ページ読むと塗りつぶすようになっていた。合計3776ページ(富士山の高さと同じ数字)である。

先生は「読書には味読、精読、いろいろな読み方があるが、まず若いときというのはとにかく多読に徹するべき。」そう言っていた。

小学校6年というと11〜12歳くらいだが、1年間でこの読書富士登山を3回クリアした強者も現れた。

実際、だんだんマス目が埋まっていく、というのは楽しいし励みになる。
富士山型なので、上に行くにしたがってマス目の数が減っていくから、一段登るペースも速くなり、気分的にも楽だ。

今の小学校でもこんなのやってんのかなー。
あの頃はファミコンが登場して1、2年目くらいで、まだ今より圧倒的に娯楽が少なかったから、みんな結構必死で挑戦していたけど、あの時貪るように読んだ本の内容は今の行動、判断に影響を与えているものもあるし、あれだけ読んだ、という自信がいろんなことにプラスになっているような気がする。

先日聴いたある講演の講師が、「今不可解な事件が多いのは今の若者に考える力(問題発見・問題解決力)が欠けているから。その原因に本を読まない、仲間と真剣な議論をしない、ということがある。」と言われていたが、まさにその通りだと思う。

とは言うものの日々のいろんなことに忙殺されてすっかり読書から遠ざかっている(仕事関係の本は必要に迫られて読んでるが)自分に渇を入れようと、再びこの「読書富士登山」に挑戦しようと思っている今日この頃である。
posted by ぜごん at 18:20| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月11日

二十歳の頃・1992夏。

部屋を片付けていて、どうしても置くところがないので何気なく父の書庫に行ってみると、二十歳の頃、友人4人で中国へ旅した時、いつも持ち歩いていたメモ帳が出てきた。

この旅行のことは度々ここでも触れたが、記憶によるばかりで、こういった書き置きを見たのは本当に久しぶりだ。こんなところにあるとは思わなかった。

改めて読んで見ると当時の雰囲気がありありと伝わってくるので、書かれたことを元に振り返ってみることにする。
_________________

1992年7月30日〜出発〜

友人とは上野駅で待ち合わせをしていた。
JRの駅を降り、公園にたむろしているイラン人(当時はいっぱいいた)を見ながら、西郷さんの銅像の横にある階段を地下に下ると京成上野駅がある。

成田に到着。イラン航空801便[未定]と出ている。係員の人に聞くと「まだ着いていない」とのこと。

その後、見送りゲートに行くとイラン航空が見えた。

午後2時35分[明日出航]の文字が!3時半まで待たされて、結局フラップの故障で今日は飛べない、と言われ、ホテルの手配を受ける。
ホテルは「ホリデイ・イン東武成田」
http://www.holidayinntobunarita.com/

ホテルまでのバスは女性、子ども連れ(赤ちゃん連れと言っていた)の人が優先だった。

TBSドラマ「ホテル」に出てきたようなホテル。夕食、朝食が付いた。食堂の外は日本庭園、隣は室内プール。

部屋のテレビはCNNや千葉テレビ、衛星放送なども入る。

風呂は床が低い!シャワーの出がよい。

信号を渡り、高速を横切る橋を渡るとファミリーマート。

飛行機に乗り込む予定だったイラン人も買い物に来ていた。
________________

以上、初日に飛行機のトラブルがあり、近くのホテルを紹介されたことまでが書いてある。
なぜイラン航空なのか。それは単に航空券が安かったからだ。

あえてメモ書きのまま載せたが、ほぼ8割以上忘れていたことがよみがえって来た。

ここから2週間にわたる異文化体験が始まるのである。(つづく)
posted by ぜごん at 18:24| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

First of May〜若葉のころ、八高線にて

「First of May〜若葉のころ」

言わずと知れたビージーズの曲である。
学生時代、サークルで先輩が演奏していたのを覚えている。
この時期の空気にぴったり合う。たいていはFMとかで一回は流れるのだが、今日は忙しくでラジオを聴く時間もなかった。

この曲を知ったころ、休みを利用してイベントのアルバイトをした。
アルバイト情報誌で見つけて、渋谷にある企画会社に応募したのだった。

デパートとかのイベント関連だったが、そこの社員さんは一目僕を見て、「君は身長が高いからぬいぐるみは無理だな。」
どうやら身長によっては首が見えてしまうらしい。

結局風船を子どもに配る仕事、ということになり、上越新幹線の回数券を渡された。行き先は高崎。

朝早く起きて、東京駅から新幹線に乗って行った。

高崎駅前のサティに着くと店員さんがいろいろ手配してくれた。
同じく東京から来ていた姉妹と一緒に、開店からしばらくボンベからガスを注入しながら子どもたちに風船を配っていった。

結構早く風船がはけ、2時ごろにはお開きになった。
せっかくなので高崎名物のだるま弁当を買って八高線回りで帰ることにした。

のんびりした気動車でそんなに乗客もなく、時折車窓を泳ぐ鯉のぼりを眺めながら、とてもいい気分だった。

埼玉とは言ってもかなり田舎のほうで、原田泰治さんの書く絵のようなのどかな田園風景がどこまでも広がっていた。

2時間ほどで八王子に着いて、八王子の友人の家に押しかけてだるま弁当を食べて帰ったような気がする。

この曲を聴くとあのときの田園風景を思い出す。
今はもっと田舎に住んでいるというのに。


(若葉のころがちょっとだけ聴けます。)
posted by ぜごん at 23:18| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

時機とタイミング

僕が初めてパソコンに触ったのはマッキントッシュである。

前の会社の営業所に、「Performa275」という画面の小さなパソコンが2台あった。
メーカーだったが、病院向けの情報処理システムを販売していた。

今はかなりメジャーになっているのかも知れないけど、レントゲンなどの画像を遠方の大病院に送って別の先生に判断を仰いだり、病院の倉庫でかさんでしまうフィルムをCD-Rに保存する、というシステムだったと思う。当時としてはかなり画期的であった。

今や100円ショップでも手に入るCD-Rであるが、当時はまだ珍しかった。値段も結構高かったように記憶している。
これらがすべてマックで動いていた。

Windows95の登場がその翌年だから、まだマック全盛の頃である。当時のウィンドウズはまだまだ使い勝手があまり良くなかった(らしい)。

ダイヤル回線でパソコン通信とか(速度も1200bpsくらい)をやっていた時代である。それほど普及しなかった。画像を送るなんて夢のような話だ。今は通信環境も驚くほど向上しているし、記憶媒体も大容量になっている。

今考えるとまだまだ時期尚早だったのかな、と思う。
やがてこの手のシステムは大手が台頭してくる。その会社も(ホームページで見る限り)既にこの分野からは撤退したらしい。

優れた技術があっても、市場の動向や、タイミングを掴まなければ成功しない。
大手の会社はその頃ゆっくり時機を見計らっていたんだろうな、と思う。
posted by ぜごん at 18:45| 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

ドラマのワンシーンのような・・・

ふと思い出した大学の頃の友人の話。

今はもう付き合いはなくなってしまったが、同じゼミの友人で海外旅行が好きな奴がいた。

大学3年のとき、仲間4人でアエロフロートに乗ってモスクワに行き、そこから陸路エジプトまで行ったそうだ。

そこから地中海沿岸のチュニジア(写真には世界史で習ったカルタゴの遺跡とか写っていた)、モロッコを経由してスペインに渡った。

スペイン南部にグラナダという町があり、そこで同じく旅行中の先輩(彼とは2,3歳年上の女性で、密かに憧れていたという。)とバッタリ出会った、というのだ。

その晩はみんなと別行動を取り、先輩と異国の街で夢のような時間を過ごしたらしい。

偶然とはいえこんなことってあるんだな。
まるでドラマのワンシーンのようだ。

そんな話を聞いた後、大学4年の夏休み、ふらっと四国に旅行に出たことがあったが、最初の松山のユースホステルでどういうわけかサークルの後輩(男)にバッタリ出くわしてしまった。

それからの珍道中は書いていけばきりがない。
今となってはいい思い出になってはいるが。
posted by ぜごん at 23:53| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

ハーモニカの調律師(2)

リードの下に薄い紙のようなものを挟んで、きめの細かなやすりで削り始めた。
削るたびに吹いてみて、機械の音と聞き比べながら、正しい音に直していく。

その技術はまさに神業である。
大体音程がずれていると機械の音との間に差が生じ、同時に鳴らすと不協和音を起こす。
それがみるみるうちに同じ音になっていくのだ。

リードが折れてしまったものについても、新しいリードに付け替えて、同じような手順で音を合わせていった。
いくつかのハーモニカは預けて帰って、また別の日に別の人が取りに行った。

気さくな人で、作業をしながらもいろいろと話を聞かせてくれた。
「いろんな楽器があるけど、リズム的にもメロディ的にも最も優れているのはピアノだね。これに勝る楽器はない。」
この一言だけが異様に心に残っている。

それ以来、いつかピアノを習ってみたい、と思っているが、未だに実行できていない。
一応ゆっくりでも譜面は読めるようになったので、全くの初心者よりは上達は早いと思うのだが。

一週間位して、残ったハーモニカが帰ってくる。
全て万全の状態となって、12月、よみうりホールでの定期演奏会を迎えるのである。
(おわり)
posted by ぜごん at 20:55| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月15日

ハーモニカの調律師(1)

学生時代所属していたハーモニカのサークルでは、定期演奏会が近くなると、調子の悪いハーモニカを集めて、ハーモニカの調律師さん(?)のところに持って行って直してもらっていた。

京王線で新宿まで出て、そこから中央線でしばらく行くと阿佐ヶ谷という駅がある。
ここで降りて10分ほど住宅地に入ったところにその家はあった。

調律師さん、と入っても定年後趣味の延長でされている感じの人で、元々は銀行に勤めていたらしい。
まず最初に手土産に駅前で和菓子を買っていく。一緒に行った先輩の話では、ここで買うのが恒例となっているらしい。

家に入ると、父より10歳くらい年上の調律師さんが出迎えてくれた。
作業場に入ると、工具や機械類が所狭しと並んでいた。

僕らは、大きいのから小さいのまで、みんなのハーモニカを袋から出した。
厳しい秋合宿などを経て、リードが折れてしまったもの、音程の狂ったものなどが相当ある。

彼は早速その一つを取って、音階の出る機械で音を一つ一つ順番に確かめながら吹き始めた。
そのうちの一つが音程が低くなっていて、「これだな。」という感じで狙いを定めた。
(つづく)
posted by ぜごん at 22:35| 広島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

カタクリの花

金沢市に住んでいた頃、春先になると父親は僕ら兄弟を郊外の倉ヶ岳に連れて行ってくれた。
まだ雪解け後間もないくらいで、ツクシやふきのとうが枯れ草の中から顔を出している。

山歩きをしていると、きれいな赤紫色の花が群生しているのが見えた。
父に聞くと「あれはカタクリの花だ。」と言っていた。

カタクリというと片栗粉の原料なのかどうか今でも詳しくは知らないが、あんなにきれいな(というか小さく可憐な)花を咲かせるとは思わなかった。

この山に行くもうひとつの目的はワラビやゼンマイ取りである。
これはもう少し暖かくなってからである。

たくさん取れるポイントがあって、袋に沢山詰めて帰る。
それを家に持って帰って、ゆでたあと酢醤油とかで食べるのだ。
あの苦みが当時あまり好きではなくて、あまり食べなかったように思う。

広島に来てから、山歩きこそしなくなったが、父は時折夫婦で近くの山にワラビを取りに行っている。
もう年齢が年齢なのであまり急な斜面とかに行って欲しくはないのだが、今も春になると時折食卓に並ぶ。

汗ばむくらいの季節になると、ビールのつまみにちょうどいい。
posted by ぜごん at 12:53| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

大学卒業の頃(4)

1994年3月27日〜31日 ふたたび広島

駅に降り立つと、身震いするほどの寒さが襲ってきた。
家に電話をかけ、迎えに来てくれるよう頼んだ。

西広島にはお父さんが来てくれていた。
家に帰り、仏壇を拝んでから、久しぶりの家の朝食を食べ、またしばらく眠りに着いた。
_________________

このあとはこんな調子で、荷物が祖母の家(会社の配属が決まるまで一時的に預かってもらっていた)に届いてからのこと、同じ広島出身の大学の友人と広島で会ったこと、高校の友人と遊んだことなど、他愛のない内容が続く。

そして、久しぶりに見た広島市内の変わりようを書いて締めくくっている。
(現在はもっともっと変わっているが。)
_________________

31日、銀行に下宿の光熱費を払うために久しぶりに市内を歩く。
本通りと金座街がぶつかる、以前アイスクリーム屋があったところにパルコが出来ていて(開店は4月9日)驚いた。やはり基町クレドは大きかった。

夕食は就職祝いでごちそうしてもらった。
晩に奈良の○○おじさんから電話があった。○○君(僕のいとこで同級生)は研修が始まっていて、おじさんは毎日息子と飲めるのがうれしいらしい。

僕の研修用の用意も大方終わり、こうして16年間ほぼ順調に続いてきた僕の学生生活は終わりを告げることとなる。しかし後半の4年間の比重があまりにも大きすぎた。その重みでその日はぐっすり眠れた、ような気がする。
_________________

その後、僕が最初に就職したあるメーカー(広島に本社を置く)に入社してから1ヶ月の研修、山口の営業所に配属になってからのことなど延々とつづられているのだが、このことについてはまた日を改めることにする。
posted by ぜごん at 21:42| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

大学卒業の頃(3)

その後、僕はラウンジの近くにある自販機でウーロン茶とオレンジジュースを買った。
ベッドの前の折りたたみ式のイスを出して、バイトの店長にもらった包みを開けてみた。

助六のほかに銀紙でくるんだゆで卵が3つ入っていた。それらをすべて食べたあと簡単なベッドメイクをしてフトンにくるまった。
持っていた小型のラジカセに洋楽やフュージョン、歌謡曲からサークルで演奏した曲まで入った特製テープをセットした。

一通り聴き終わるまでに一旦は寝入ったが、それから揺れのために1時間おきぐらいに目を覚ました。
そのたびに窓から見える駅名は少しずつ広島に近づいていた。

1994年3月27日

車内のアナウンスが再び始まった。フトンから出てトイレに行った。
西条あたりはこの時期にもかかわらず霜でそこらじゅうが真っ白だった。
そういえば2、3日前に家に電話したとき、少し雪が降ったと言っていた。

特製テープのラストの曲がさだまさしの曲で、

「♪改札口を抜けたならもう、ふるさとは春だから。」

この歌詞で締めくくるようにあわせて作ってきたのに雰囲気がまるで違う。

朝6時35分、列車は広島に到着した。

(つづく)
posted by ぜごん at 12:54| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

大学卒業の頃(2)

昨日の日記は夜行列車の車内へと場面を変えている。
_____________________

1994年3月26日夜 夜汽車に揺られながら

あさかぜ3号は速度を早めながら広島へ向かっていた。
涙も引いた頃、下のベッドに座っている僕の足元にスリッパを投げてくれた人がいた。

40代後半から50代前半といったところで、ところどころ白髪が混じっている。
僕が「どこまで行かれるんですか?」と訊くと、「小郡まで。」と言った。

出張を兼ねての旅行だそうだ。僕も同じようなことを聞かれたので昨日卒業式が終わったばかりだと言った。
その人は「卒業式かぁ。僕らの頃も大体25日だったなあ。最も学園紛争で式自体なくてさ。・・・いや、僕もC大でね。」とさりげなく言った。

その人の卒業した昭和42、3年頃は紛争が激しく、卒業式の日に大学の事務室に行って卒業証書をもらってくるだけだったという。
「今、大学きれいになってるだろう。この間久しぶりに行ってみてね。(中略)うちの坊主もこの前C大受けたんだけど受かんなくてさ。」

こんな話題から始まって僕の就職の話、それから引っ越しの話、彼の仕事の話、家族の話にまで発展した。

「引越しは僕もよくやったよ。本、特に全集ものが捨てられなくてさ。」
「僕?僕は港湾関係の仕事。港でコンテナの積み込みの手続きの書類を作ったりしてる。」
「あの頃は海運がまだ調子よくてね。僕も海外に行きたくてその会社に入ったんだけど、ふたを開けてみたらずっと海辺の仕事でね。で、やめる勇気もなくてずっと総務畑を歩んできたんだよ。」
「子どもは男の子が3人。上の子は長男で君みたいにおとなしくてね、何考えてるんだかちょっと分からない。2番目が結構努力家でね。下の子が今、中学一年だから完全に親元から離れるまで順調に行っても後10年、大変だ。気が遠くなるよ。」

そんなことを話しているうちに、車内の電灯が切れた。

(つづく)
posted by ぜごん at 22:09| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

大学卒業の頃(1)

昨日はダイアリー(歳時記)、という歌のことを書いたけど、とりあえず大学卒業の時点はこんな浮いた話はなかった。

いつかの日記をもう一度引っ張り出してみる。
当時すっかりドラマの主人公のような気持ちで書いていたのを思い出した。
(名前等は一部省略しています。)
___________________

1994年3月25日・26日 東京最後の日

(前半は卒業式やその後の追い出しコンパのことが書いてある。)

結局11時過ぎまで「マイアミ」でコーヒーを飲んでいた。
家に帰ってすぐに荷造り、といきたかったが、何だか明日ここを後にするのがあまりにも名残惜しくて、ずっとJ-WAVEをかけていた。

ロバート・ハリスが今度番組で作る映画の話をしていた。『スティル・ライフ』のオープニングの頃から片づけを始め、その後就寝。
2時間ほどだったがすっきりとした。すでに空は明るくなっている。

朝9時半に定期演奏会のプレゼントの入っていた紙袋にコーヒー豆や砂糖、紅茶の葉や余ったウイスキーを入れ、「○○(バイト先の寿司屋)」に持って行った。
店長は素直に喜んでくれるので嬉しい。
「昼また焼きそばを作ってやるから遊びに来いよ。」と言っていた。

(略)

昼食はイワシやマグロの入った特製焼きそばを店で食べ、寿司も少し握ってもらった。
引越し屋さんが2時〜4時の間にくる、ということで寒い部屋で置いて行く予定の壊れたラジカセでFMを聞いていた。
積み込みは3時50分から30分ほどで終わった。荷物が多いとはいえ学生の引越しだな、と思った。

6時に後輩と新宿アルプス広場で待ち合わせをすることになっていた。
「○○(バイト先)」にあいさつに行くと店長が餞別に助六を握っていてくれて、あともらった袋にはウーロン茶とお菓子も入っていた。
○○さん(パートのおばちゃん)と新人の子もいた。

新宿駅に割と早目に着くと、後輩4人が順番に来た。
東京駅で軽食をすませ、ホームにあがると7時20分発の「あさかぜ3号」がすでに入ってきていた。
車内のベッドに荷物を置いて、扉の前でみんなにお礼を言ってから、少し窓越しに手で合図を送ったりして遊んでいた。
ドアが閉まり、少しずつ列車が動き始めた。

1号車なので追いかけてきた後輩の姿はすぐに見えなくなった。
流れていく東京の夜景を眺めながら思い出30%、いろいろな後悔や自分の甘さ70%で涙があふれてとまらなかった。

列車はゆっくりと多摩川の鉄橋を渡っていた。
___________________

(その後、さだまさしの「駅舎(えき)」の歌詞がフルコーラス書いてある。(またさだまさしか!))

この日記はまだまだ続きます。
posted by ぜごん at 22:48| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月27日

卒業シーズンにこんな曲

昔のラジオ番組の録音テープを聴いていると、こんな曲がかかっていた。
以前は何も思わなかったけど、今聞くと妙に心に響いてくる。
_______________

ダイアリー/さだまさし

卒業までに咲けばいいねと君は
ある日急に窓辺に鉢植えを置いた
何もなしに別れて行くよりも
残したいと始めたダイアリー
1ページ目には二人のプロフィール
2ページ目には二人の出会い
3ページ目からたどる季節
記すたび募る悲しみに
君は耐えかね 7ぺージ目からは
僕の名前、何度も連ねた

花の名前を聞かず買ったくせに
勝手に自分でカスミソウと決め付けたね
早く咲いてと毎朝祈って
水をすごして枯らしそうになって
眠れず一人看病したよね
花の名前呼びながら
無事だった朝涙ぐんで
素敵な水色に君は笑った
そんなちひろの子どもの絵のような
君の笑顔がとても好きだった。
_______________

「そんなちひろの子どもの絵のような
 君の笑顔がとても好きだった。」

この最後の詞が何ともいえない。

学生時代、バイト先の店長が、有線からかかる「22歳の別れ」を聞きながら、「これ、俺のテーマソングだよ。」と言っていたが、僕の場合はこの曲だなぁ。
何があったかはここでは書かないが、この詞を見るたびに胸がキュンとなる。

季節も4月の連休前だったし、こんなに綺麗なものじゃなかったけど。
posted by ぜごん at 22:16| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

再就職手当に関連した話題

昨日の再就職手当の関連でこんなことがあった。

昔バイトしてたところの社長さんの話。

従業員が給料の前借りをしたまま辞めてしまった。
その後しばらくして、別の町の会社に再就職したことを聞いた。

どうやら雇用保険に再就職手当というのがあるらしい。うまくやってその人の再就職手当から前借り分を取り戻せないか、と思ったのである。

しかしご存知の方も多いと思うが再就職手当にはあれこれ支給要件があって、どれかに引っかかるともらえない。

結局その作戦はうまく行かなかったそうである。
やはり妙なことは考えない方がいい。
(社長さんにとっては切実な問題かも知れないが。)

ただ世の中にはもっとすごい人がいて、借金を抱えて返せない人を選挙(確か市議会か町議会の議員)に当選させ、議員報酬から払わせようとする人もいるんだと聞いた。

こんなのうまく行くんだろうか?(後日談は知らない。)
posted by ぜごん at 12:41| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回顧録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。