2014年02月23日

何か最近は年一回更新になってるな。

先月二泊三日で韓国ソウルに行きました。
正直広島からだと直線距離で東京に行くより近い。それなのに全く違う異文化体験。それでいてやっぱり隣の国。味噌汁はあるし海苔巻きは出てくるし、全く外国、というわけでもない。久々にアジアの熱気に酔って帰ってきた、というわけだ。また行きたいなあ。でももう免税店はちょっと勘弁。
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2013年02月01日

実は先月、

職場の旅行で今度は夜のスカイツリーに登った。



その翌日は大変な雪だった。



乗る予定だったボーイング787は欠航し、新幹線で帰ることになった。

関係あるかどうか分からないが、山口宇部空港を出たボーイング787がバッテリーの異常で緊急着陸したのはその2日後のことである。
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2012年12月12日

半年ぶりです。

11月、いつも下から見るだけだったスカイツリーに登ってきた。普通の展望台とは違い、何か下界とは全く違う世界。たくさん撮った写真の中から一枚、吾妻橋付近の写真を貼ってみます。
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2012年01月04日

634mになったスカイツリー

2011年12月25日撮影。
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2010年12月20日

初めて見たスカイツリー

12月11日、12日は職員旅行で東京に行った。
幹事さんの発案で「三大タワー競演」なるタイトルで横浜ランドマークタワー、東京スカイツリー(バス車窓のみ)、東京タワーの三ヶ所をバスで巡る、というもの。
東京スカイツリーは格好良かった。浅草での自由時間の時、ひと駅東武線に乗って、業平橋で降りてみた。ホームに降り立つと、すぐ目の前がスカイツリー建設現場だった。
そこから川沿いの道は見物客でいっぱい。足下の表示には「東京スカイツリー 現在の高さ 511m」とあった。完成すると634mになる、というから約80%の高さ、ということになる。待ち合わせの時間が近づいてきたため、そそくさと電車に乗り浅草に戻った。

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これが浅草の吾妻橋から見たスカイツリー。アサヒビールの本社ビルやたいまつの奧にある。
家に帰って以前父と行ったときの写真を探してみた。これがその写真。

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2007年の11月25日、父が亡くなるほんの10日前、一緒に水上バスに乗ったときの待合室での写真。スカイツリーがないだけであとは何も変わらない。これが父と行った最後の旅行らしい旅行となってしまった。

それから3年。あの巨大なスカイツリーを見ただけでも時間の流れを感じる。
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2010年11月30日

竹灯りに誘われて大分・臼杵へ

11月6日・7日に大分県臼杵市で開催された、「うすき竹宵」に行って来た。

去年の職員旅行で同僚の人と臼杵市を訪れた際、パンフレットなどでこのイベントのことを知り、ぜひとも訪れたいと思っていた。

東広島駅を朝早い新幹線で出発し、小倉駅で水戸岡鋭治氏デザインの883系・特急ソニックに乗り換える。乗車前に名物のかしわ飯を買い、九州の遠い山並みを眺めながら食べた。

別府駅で特急にちりんに乗り換えて、臼杵駅に着いたのは午前1時過ぎ。ここでパンフレットを入手。昼間のうちに各ポイントを押さえ、午後5時の点灯時間を待った。

八町大路という、市内の目抜き通りには飲食スペースが設営されたり、各商店ではこのイベントにちなんだグッズを売ったりと盛り上がっていた。そして4時半も過ぎると何やら一斉に盛り上がり始めた。

そこからはめくるめく竹灯りの世界。市を挙げてのイベントで、どのオブジェも素晴らしかった。旧真光寺の室内に設けられたオブジェの見学には長い行列が出来、40分待ちだった。

竹原市の「憧憬の路」はこのイベントを参考に始まったと聞く。ただ臼杵の場合は14年目を迎えてなお衰えを知らず、すっかり市民のまつりとして定着しているのだ。第1回(2003年)から第8回(2010年)まで、何らかの形で憧憬の路に関わっている自分としてはこの臼杵の情景こそまさに「憧憬=あこがれの風景」だった。

その日は大分の東急インに泊まり、翌朝別府温泉にちょこっとだけ浸かり、門司港のレトロラインで海風を感じつつ、鉄道記念館にも立ち寄って足早に帰ってきた。去年の1日と、この2日間を通して、縁もゆかりもない臼杵の町が自分に身近な存在として急接近してきたことだけは事実である。
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2009年10月30日

約2年ぶりの東京。

今月中旬に約1週間、研修のために東京に行っていた。

自分が希望した内容だったけど、近付くにつれて、段々気が重くなってきた。というのは約2年前に父が東京で亡くなって、アパートと職場を片付けに行って以来足を運んでなかったからである。

ただその不安は羽田空港に着くやどっかに消し飛んでしまった。
繁華街は賑やか。パッと見では不況などどこ吹く風、といった感じである。

滞在中、広島から東京に出ている友人と、大学時代の友人に会った。

最終日は、飛行機の時間まで上野の国立博物館平成館で開催されている「皇室の名宝展」を見に行った。

宮内庁が保有している美術品の数々。歴史の授業で参考書に載っていたような作品がバンバン登場する。

特にすごかったのは江戸時代の画家、伊藤若冲の「動植綵絵」全30幅である。これだけの作品が一堂に介すのはめったにないことらしい。よく「驚きのあまり言葉を失う」などというが、自分の場合、あまりの素晴らしさに「あ、あ・・・」と言葉にならない声が自然に出てきた。色んな動植物が書かれているが、そのうち一番多いのはニワトリである。トサカや羽根、足の部分の精密さは実物よりすごい迫力だった。

一週間過ごしてみて、何だか吹っ切れた気分。今までのことが取り越し苦労のようだった。しかしちょっと調子に乗って金を使いすぎた。それだけが反省点(汗)。
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2007年11月29日

「明日の神話」の現物を見る。

連休中、ふらりと、本当にふらりと東京に出かけた。

水曜日くらいに決めて、ネットで往復の航空券を予約。
金曜日朝9時半の飛行機で羽田空港へ。

いくつか目的はあったが、その一つが今、広島市が誘致の要望を出している岡本太郎氏の「明日の神話」の現物を見たかったのである。

東京都現代美術館というところで、来年の4月まで展示されている、という話を聞いていた。
羽田からモノレールに、そこから地下鉄に乗って都営大江戸線の「清澄白河」という駅で降りる。

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そこから、下町風の町並みを歩き、深川飯のお店をいくつも横に見ながら15分ほど歩くと、そのモダンな建物はあった。

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中に入ると、企画展の入り口があり、そこを通り抜けると常設展の入り口がある。

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「明日の神話」は常設展の3階、とのことである。500円を払って中に入る。

広島にも現代美術館はあるが、行ったことはなかった。
横尾忠則氏の作品やアンディ・ウォーホル氏の「マリリン・モンロー」など、おおよそ美術に疎い自分でも聞き覚えのある作品がたくさん展示されていて楽しめた。

一通り回って、3階に上がると、岡本太郎氏の作品がいくつかあり、そこを抜けると「明日の記憶」はあった。

日本テレビの特番で見たことはあったが、実際に目の前にしてみると、その大きさや色使いの迫力に圧倒された。しばらく言葉もなく立ちつくしてしまった。

あと、テレビでは分からなかったが、人物や動物など、細部も事細かに書かれていて、30分くらい見ていても飽きない。

一言では言い表せないけれど、「鮮やかな色使い」と「目付きの鋭さ」「人物の奔放な動き」こういった岡本氏の特徴が見事に強調された作品だな、と思った。

以前広島で「明日の神話を誘致しよう」といった署名をしている人がいて、僕も協力したことがあったが、本当に広島に呼ぶべきか、何だか分からなくなってしまった。

もちろん、この作品は原爆がモチーフになっている、ということから、広島に呼んで広島に来た人に今一度平和について考える機会にする、といった意義は充分にあると思う。

しかし、見た後の感想は、東京など、より多くの人がこの作品に触れてもらう環境に置いておくほうがふさわしいのではないか、そんな気がしてきたのである。

美術館を後にして、その足で表参道の「岡本太郎記念館」にも行ってきた。

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ここは生前の彼のアトリエを改造して作った施設で、作業場やリビングが当時のままに再現されており、二階には彼の象徴的なメッセージとともに作品がいくつか展示されている。

ここは作品を鑑賞すると同時に、彼の作品や魂のこもったアトリエ、そして残した言葉に触れてください、そんな感じの施設だった。

「私は絶望を、新しい色で塗り、きりひらいて行く。
   絶望を彩る事、それが芸術だ。」


ある作品の傍らにはこんな言葉があった。
これはそのまま「明日の記憶」にも当てはまるな、と思った。
戦争で打ちのめされながらも、ほとばしるような生命の息吹を感じて欲しい、そんなメッセージが充分伝わってきた。

次回はこの作品をどこで見ることになるのだろうか?
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2007年11月26日

11/23〜25 東京旅行メモ

11月23日(金) 22328歩

羽田空港10:45着→浜松町・大門→

清澄白河・東京都現代美術館「岡本太郎・明日の神話」
千駄木・いせ辰(谷中)
表参道・岡本太郎記念館(南青山)

表参道→渋谷→日吉

11月24日(土) 13459歩

日吉→中目黒→東日本橋→浅草→東武日光

日光東照宮(三猿・陽明門・眠り猫・鳴龍ほか)

東武日光→浅草(夕食)→渋谷→日吉

11月25日(日) 21707歩

日吉→横浜→桜木町〜汽車道経由(徒歩)〜

海上保安資料館横浜館(北朝鮮工作船)
横浜大さん橋・飛鳥U(日本籍で最大の客船)
神奈川県庁横の銀杏並木の紅葉

日本大通り→横浜→新橋

新橋・せとうち旬彩館(昼食:釜玉生醤油うどん)

新橋→浅草

隅田川水上バス(浅草吾妻橋〜日の出桟橋)

日の出→《ゆりかもめ》→汐留→六本木

東京ミッドタウン・ガレリア

六本木→大門・浜松町→羽田空港(18:30発)

合計  57494歩(1歩60pとして約34.5q)
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2006年11月01日

秋の東北へ(2)

2日目の午前で視察の日程は終わり、そこから一路、十和田湖へ向かう。
国道4号線で十和田市まで行き、そこから国道102号線に入る。

運転手さんはこっちの方が早いからと、102号線の脇の抜け道へ入った。
抜け道と言ってもバスが通るのに不便はない広さだった。

秋晴れのいい天気。
牧歌的な風景だったのが、やがて両脇が黄色く色づいた並木道に変わる。

徐々に標高を上げていき、焼山の奥入瀬渓流観光センターに到着した頃に
昼になった。
階段を下りると、巨大な食堂が現れた。聞くと1300〜1400人くらいは収容できるという。
係員に案内されるままに進むと、一角に我々の団体名を記したプレートがあった。

ここでの食事は八戸名物「せんべい汁」である。
それぞれ一人用の小さな鍋が用意してある。
これに点火してもらい、鹿せんべいのようなせんべいを割って入れるのだ。
同行の方は「これは餅の代わりのようなもんだね。」と言っていた。
確かに言われてみればそんな感じだ。
無難に美味しかった。

食事が終わり、集合時間まで皆さんはおみやげ物を見たり、そばの紅葉を見たりしていた。
特に向かいの民家の紅葉がきれいだったのでそこで一枚。

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ここからいよいよ奥入瀬渓流へと向かうのである。

(つづく)
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2006年10月31日

秋の東北へ(1)

10月26日〜28日。仕事で担当している異業種交流団体の県外視察ということで、青森・岩手を旅行してきた。総勢12名だが、僕のほかは50代〜70代までの方で、あまり旅行気分で、というわけにはいかない。

最初に7時50分発の飛行機で東京へ。それからモノレール、山手線と乗り継いで、東京駅で東京出張中の1名と合流、その後東北新幹線「はやて」で八戸へと向かった。

八戸までは3時間7分という早さである。学生時代に今はない急行八甲田に乗って、直角のシートに揺られながら青森まで10時間近くかけて行っていた頃とはわけが違う。東京、上野、大宮の次はもう仙台、盛岡である。

東北新幹線は東海道、山陽新幹線とは違い、森!、森!、畑!、畑!、森!、森!といった感じで景色が単調すぎる。駅に近づくとやっと家が見えてくる、といった感じだ。

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午後2時3分。八戸駅に到着。
バスの運転手さんが既にホームの外で待ってくれていた。
階段を下りると予想したとおり、ひんやりとした空気が包む。
日射しはあるが、こちらの11月中旬のような気候である。

そこからバスで27日の昼にかけて3ヶ所を視察したわけだがそのことはここでは省略する。
(つづく)
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2006年08月07日

二十歳の頃・1992年夏(その10)

大同への道はさらに続く。

道中、留学生のCとはいろんな話をした。
彼は顔立ちはほとんど日本人と変わらない。

母国語のマレー語のほか、北京語、日本語、あと英語を少し話す。
大学に来る前に日本語学校に1年通っていたそうだ。

もともとは中国から渡ってきた華僑の子孫だった。
メモはさらにこんな感じで続いている。
______________________________

Cの祖父→1917年に広東省からマレーシアに移住(華僑)。
もとは「蔡」姓であったが、集落同志の争いに敗れ、「C」に改姓。

戦時中、儲けた金を土の中に埋めておいたが、日本軍が来た際、全て掘り起こされてしまった。

シンガポールは1962年に独立。

普通、華僑というと、本土にいる親類に金を送ったりするものだが、Cの親類はみな渡ってきている(つまり本土にいない)ので、その必要はない。

Cの祖父は亡くなる15年前から地方(今でいう認知症)となり、麻雀に明け暮れる毎日。
そして、晩には近所の人に家まで送ってきてもらっていた。
______________________________

戦時中日本人はこういったアジアの人に酷いことをしたらしいが、彼にとってそれは過去のことのようだった。
それより日本には学べるものが沢山ある。それを貪欲に吸収しようという意識がつぶさに感じられた。

「お姉さんの旦那さんが電機メーカーに勤めていて、いつも日本の製品を仕入れてきては分解して仕組みを調べてる。」
そんなことも言っていた。

「ルック・イースト政策」だったか、マレーシアはこの頃から「日本や香港、台湾など東の先進国に習え。」的な方針を打ち出している。

「こりゃそのうち日本は追い抜かれるんじゃないか。」
西へ向かうタクシーの中でそんな風に思わずにはいられなかった。

(つづく)
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2006年07月30日

二十歳の頃・1992年夏(その9)

1992年8月3日

帰りのタクシーの中でCが運転手となにやら話していた。
あとで聞いてみると、どうやら大同行きを交渉していたらしい。

しかし直線距離にして500キロである。
まさかタクシーで行く、という発想はなかった。

金額を聞くと、(記憶が定かではないが)1人6〜7千円×4人×2日間ぐらいだったと思う。
これくらいなら出せないこともない。
僕も、他の二人も何とか了承した。
Cは喜んで、運転手の毛さんに連絡を取った。

出発は午後1時。ホテル前で待ち合わせと決まった。
ホテルの食堂で軽い食事を取り、全ての荷物をまとめて、フロントを抜けた。
さっき乗ったクラウンが僕らを待っていてくれた。

ここからはメモを引用していくことにする。
_________________________

・大同までの道。一面のトウモロコシ畑。畑のところどころにヒマワリの花が混じっていて、まるで蝶か鳥が舞っているよう。日本のような景色があったかと思うとふっと現れる民家はやっぱり中国。

・道の端に赤土の丘があり、十数個の穴があった。運転手の話では、あれは中で焼き物を作っているのだ、ということだった。
・石炭の採掘所がある。
・道の横を羊飼いと羊の群れが通り過ぎていく。
・車が止まった。何台か追い越して前のほうへ行くと、その先に踏切があった。右には重化学工場が赤い煙を吐いていた。1台の電気機関車が踏み切りの真ん中へんで止まった。どうやら信号待ちをしているらしい。その間にも自転車が何台か遮断機をすり抜けて通っていた。待つこと約30分間。しびれを切らした車が次々と追い越しながら踏み切り前で3列ほどの列を作っていた。右側に見える工場の金網の中に一本の線路があり、石炭を運ぶ貨車が通り過ぎて行った。最後尾を蒸気機関車がシュッシュッシュッと音を立てながら後押ししていた。ようやく前の電気機関車が通り過ぎ、踏切が開いた。

このあたりのことは以前も書いている。(だいぶダブってはいるが。)
http://zegon.seesaa.net/article/7826674.html

・その後はデコボコ道が続いた。石炭を積んだトラックと何台もすれ違う。
・夕暮れ時で自転車が多い。町の中心部に入ったらしい。「宣化県」と書いてある。あちこちでスモモや瓜のようなスイカを売っていた。
ロバや馬を使って荷物を引く人が多かった。
・町を外れてしばらくすると、前のトラックの後ろの金具の所につかまって自転車に乗っている人がいた。(金具につかまっていれば漕がなくていい分楽、ということらしい。)
・時々トラックが気づいてスピードを出すと追いつけなくなって離れ、また全速力で追いついていって、を何度も繰り返していた。こういう人をよく見かけた。
・暗くなった。「飯店」の名のついた家がいくつもある町に入った。(個人経営のドライブインみたいな感覚のようだ。)
・中心部にテント小屋があり、運転手は「あそこでサーカスをやっているのだ。」と言った。ポプラ並木の中を車は走り抜ける。外灯も何もない。
・下の絵のような「飯店」を何十、何百と見かけた。標識を見ると大同までの距離がだんだん短くなってきた。(つづく)

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2006年07月29日

二十歳の頃・1992年夏(その8)

1992年8月2日(つづき)

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ホテルで聞いた、康西高原という聞きなれない観光地に行ったときのことである。
タクシーから降りると、ものすごい客引きに合う。
中国の「三国志」の撮影に使われたらしいセットがあるが、何の興味も湧かなかった。
ここで初めて羊の肉を食べた。匂いがきつく、友人などは食べなかった。
僕は持ってきた「キッコーマン丸大豆しょうゆ」をかけて、何とかたいらげた。
やはり醤油の力は偉大である。

僕らが期待していた「モンゴル」はそこにはなかった。
どことなく物足りない気分もあったのだろう、ホテルに戻り、4人で話し合って、郊外に出てみることにしたのだ。
行き先は全員一致で「大同(タートン)」。
世界史で習った、雲崗石窟のあるところだ。

明くる朝、タクシーに乗って、北京駅へとやってきた。
ターミナルということもあり、天井が高く、中もかなり広い。

留学生のCに頼んで、切符を買ってもらうことにした。
しかし、いきなり行ったので、軟座という座席指定の切符は取れなかった。
硬座という、安いほうの切符は取れるようだったが、治安が悪く、Cは頑なに拒んだ。(彼が通訳だから従うしかない。)

そばにはバックパックを担いだヨーロッパ系の女性旅行者もいたが、この人も目的の切符が買えなかったのだろう、窓口に向けてかなりきつい口調で怒声をあげていた。

そんなこんなで、再びホテルに戻ってきた。

この後意外な展開で大同への道が開けるのである。
(つづく)
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2006年07月24日

二十歳の頃・1992年夏(その7)

1992年8月2日

ホテルは燕京飯店というところに取っていた。
三ツ星だが、最低限の設備はあった。

十何階だか、結構高いところの部屋になった。
道路を挟んだ向かいは建築現場の槌音が響いていた。

この日はみんなで相談して、昨日行った万里の長城よりちょっと先の、モンゴル風のパオなんかが置いてある康西高原ということにしたのだった。ホテルにそれらしい写真が置いてあった。

C(留学生)に頼んで、空港から市内に入る時に利用したタクシーの運転手(気のいいおばちゃん)に連絡をしたのだった。
________________________________________________________

・朝7時出発で例のタクシーの姉ちゃんに乗せていってもらう。長城を過ぎるころ霧のような雨。城壁を越えると一面のトウモロコシ畑で、道がずっとポプラのような並木道。時折ロバの荷車とすれ違う。NHKの『シルクロード』に出てきたような市場がチラッと見えた。

・康西高原は完全に観光地化されたモンゴルである。車から降りてしばらく歩く。いろんな人が話しかけてくる。とたんに30人ぐらいの人がいっせいに押しかけてきて、何か必死に言っている。馬に乗せてくれるという。もちろん商売である。C(留学生)に交渉してもらい、行き20元、帰り20元ということになった。馬に乗るのははじめてである。前で馬の手綱を引っ張っている人が付いている。多少揺れるがなかなか乗り心地がよい。横を現地の人が3人ぐらい、馬に乗って猛スピードで通り過ぎる。

・20分ほどで立ち止まり、馬を引く人が何か言ってきた。留学生に聞くと、僕たちが外国人ということでさらに100元要求していたというのだ。これまた交渉して、一人当たり5元ということでおさまった。馬の行く先は官庁湖という沼のようなところである。船は下の絵のような形をしている。これは10元だが、船頭の人はなかなかやさしい人で、本来の時間を延長して写真を撮らせてくれたりした。

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・Cと船頭さんはいろいろ話をしていた。時々訳してくれたが、その内容を書くと、

 ・湖の向こうは葦がいっぱい生えている川になっていて、三国志などの時代には葦が隠れるのに役立っていたということ。
 ・晴れた日にはここでも泳ぐことが出来、女の子でも躊躇せずに泳いでいる、ということ。
 ・湖の向こう側には売春宿があり、2時間あればそこへいくことが出来る。しかも危険ではない。
 (ここでCは「一人で来たら行っていたのに。」としきりに言っていた。)
 ・向こうに見えるのは三国志の劉備の城である(映画のセット)、ということ。

以上のようなことが書いてあった。

ここでこの日のメモは切れている。
(つづく)
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2006年07月21日

二十歳の頃・1992年夏(その6)

8月1日は北京から車で2時間、八達嶺の万里の長城に出かけた。
ここが長城のベストビューポイントらしく、観光地として整備されている。
タクシーを使っての移動。北京は平地だったが近づくにつれてゴツゴツした山あいを通るようになる。

お土産物店が並んでいて、そこを抜けると長城が現れる。
階段を伝って上にあがり、そこから延々と連なる城壁の一番高いところ(これがいわゆる八達嶺か)まで行って帰るのである。

神社の参道のように山頂まで人の列が続いていた。
まだ若かったが、息を切らしながら何とか頂上までたどり着いた。
ここからは引き返すだけだが、その先もずーっと城壁は続いている。
ちょっと残念だったのは天気が思わしくなかったことである。
雨は降っていなかったが遠くが霞んで見えなかった。

帰りはさっき登った道を、足並みも軽くどんどん下っていった。

その後、お土産物を物色したが、あんまりいいものはなかった。
「万里長城」という文字と長城の写真をプリントしたTシャツなどが売っていて、こんなの誰が買うんだよ!と思っていたら中国人カップルがそのTシャツをおそろいで着て喜々とした表情で目の前を通り過ぎていった。
これが文化の違いなんだろうなあ。
(つづく)
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2006年07月20日

二十歳の頃・1992年夏(その5)

1992年7月31日夕方

夕食は人人大酒楼というところで食べた。10元分(当時一元は25円)チケットを買って、餃子とシチューの乗ったご飯、ペプシコーラを買う。ペプシは炭酸がシャッセ(当時日本で売っていた微炭酸のジュース)以上に薄い。C(留学生)に菜っ葉の入った包子をもらった。味は薄いが自分好みの味である。食後にミリンダを頼む。中国語で「メイネンダ」と言うそうだ。

天安門広場に着くと、兵隊が並んでいて、周りを民衆が取り囲んでいた。見ると国旗を降ろしているところだった。その後天安門がライトアップされる8時過ぎまでそこにいた。

地下鉄のホームの柱に所々水墨画のような絵が掛かっていた。

8月1日 八達嶺の長城へ

タクシー代 350÷4人=88元
長城    5角
絵はがき 5元
トイレ   1角
ミネラルウオーター 4元
十三陵 11元
切手代 1.6元×5=8元
昼食代 26元
夕食代 14元ほど
デイパック 26元

・長城の坂がきつい。外国人もかなりいる。山の稜線に沿ってどこまでも続く城壁。
・北京ビールを飲んだ。独特の味。
・夕食はホテル前の屋台で食べる。羊の串刺しの香辛料は薬草のような香り。炒飯は油っぽい。椰子汁は甘くて美味しい。
・途中に李自成の像
__________

ほぼ原文のまま記したが、見る物聞く物すべて面白くて仕方がなかった。
天安門広場というと、この3年前にいまわしい事件が起こったばっかりである。
学生が戦車の前に立ちはだかって・・・というような映像がテレビ画面に度々映し出されていた。
高三の受験生の頃だった。

しかしこの時はすっかり平穏を取り戻していた。
兵隊とC(留学生)は何やら談笑していた。
後で聞くと、Cの持っていたカメラを見て「いいカメラだね。」とか言っていろいろ機能など聞かれたのだという。

3年でここまで変わるものなのか。
今は2006年だから、この時から既に14年の時が流れている。

(つづく)
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2006年07月17日

二十歳の頃・1992年夏(その4)

タクシー(空港−市内) 30元
ホテル(2泊)150元
地下鉄 5角×2
夕食 8元
傘 17元
地図 2元
ミネラルウオーター(冷えたもの)3.5元

・空港に降り立つと、燃料のような匂いが漂っていた。
 地下鉄のホームも同じような匂いがする。
・市内までのタクシー内から見た風景。自転車に乗っている人が多い。
 車とスレスレのところを走っている。
 パンツ一枚で歩いている人がいた。
 街なかでのスイカ売りに人が群がっていた。
 高い建物が見えてくる。C(留学生)が「シンガポールに良く似ている」と言った。
 約一時間でホテルに到着。
・ホテルから出て、天安門へ向かう。地下鉄南(  )駅まで歩き、そこから1つ目の駅で環状線に乗り換える。
 長いトンネルが続く。前門駅までは駅が( )つ。(所々字が抜けている。)
・駅を出ると、ものもらいの親子に二度三度と腕をつかまれる。
 振り払って行ったが、別に悪いことをしたわけでもないのに何か後味悪い。
_________________________

1992年7月31日。
北京に到着後、ホテルに荷物を下ろし、天安門に行くまでのメモである。
初めて見るアジアの国。

近寄ってきた乞食の親子。
学校では社会主義国では失業者は出ないんだと教わっていた。
それも、日本で見たことのない、女性や子供だった。
衣服や腕は汚れて真っ黒だった。
テレビなどでは写らない、生の中国がそこにあった。

ここで感じた驚きはまだまだ序章に過ぎなかった。
(つづく)
posted by ぜごん at 21:45| 広島 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

二十歳の頃・1992年夏(その3)

飛行機は翌日31日、ようやく整備が完了した、ということで成田を飛び立った。
イラン航空。東京(成田)発北京経由テヘラン行きである。
北京までの所要時間は約4時間半。

飛行機に乗ってまず驚いたのは、客室乗務員が口ひげを生やしたスーパーマリオみたいな男性ばっかりなのである。
女性乗務員も何人がいたがイスラム教国らしく布をまとっていた。

離陸してしばらくして、機内食が運ばれてきた。
ここはメモ帳に書いたイラストをスキャンして貼ってみる。

iranair.JPG

当時から色鉛筆を持ち歩いていたらしい。
決して上手とは言えないが雰囲気は伝わってくる。

中でも黄色い主食(右下)の味が強烈だったのを覚えている。
今考えるとサフランライスだったと思われるが、日本のインド料理店(タンドールとか)で食べるそれと大きく違う。(あれは日本人向けにだいぶ味を食べやすく調整したものだと思う。)

ほかは多少味は違うものの日本のどこにでもある料理だったが、この「主食」だけは明らかに異質だった。
(つづく)
posted by ぜごん at 00:20| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

二十歳の頃・1992年夏(その2)

1992年7月30日出発の予定が31日になった。
僕と、愛知県出身の友人、山口県出身の友人、マレーシアのジョホールというところから大学に来ていた留学生の4人編成である。

マレーシアの留学生は華僑の息子で、母国語のほか北京語もしゃべれる。
今回の旅行の力強い味方である。

まずメモ帳にある行程を書き写してみる。
途中までしか書いてないので全ては分からない。
最後の二日は全く記憶がない。

7月31日 天安門広場
8月 1日 万里の長城、明十三陵
8月 2日 康西草原
8月 3日 北京→大同 移動日
8月 4日 雲崗石窟、懸空寺 大同発
8月 5日 早朝北京着。天壇公園、雍和園
8月 6日 故宮博物院
8月 7日 景山公園、北海公園 
8月 8日 休息日
8月 9日 中日友好病院
8月10日 頤和園、臥佛寺、香山公園、北京動物園
8月11日 記録なし
8月12日 記録なし
8月13日 早朝、再びイラン航空にて成田へ→バスで羽田空港。
       そのまま広島へ帰省。

後半、みんな体調を崩して、休んだり病院に行ったりしている。
そんな中で同行の留学生一人がピンピンしていた。

顔立ちなどは僕らと全く同じなのに、微妙に違うようだ。
(ちなみに彼は味噌汁は全く飲めないと言っていた。)

明日以降はメモをもとにその一個一個を掘り下げていきます。
(つづく)
posted by ぜごん at 18:54| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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