2006年03月20日

3度目のルミナリエ(その3)

やがてどこかのスピーカーから、いつもは5時半に点灯することになっているが、今日は少し早めに点灯します、という内容のアナウンスが流れてきた。

その後、急に列が流れるようになってきた。
どうやら点灯が始まったらしい。

流れについて左折すると、その奥に光の門がひときわ明るく輝いているのが見えた。
(光の回廊になっているので、入口付近だとすべての光が集積していて目がくらむ程明るい。)

rumi2.JPG

とにかく携帯で写真を撮っている人の多いことが、初めての時と違うことである。
夜景撮影のため三脚も用意していたが、人が多くてとても立てられる状態ではなかった。

rumi3.JPG

上の写真は入口付近の建物の窓ガラスに映して撮った写真。
そこから光の回廊を抜けるにはさほど時間はかからない。
その先が東遊園地で、公園の周りにぐるりと電飾がなされている。

rumi4.JPG

ここで僕は三脚を取り出し、固定した状態でいくつかイルミネーションを撮ったり、同行の人たちと記念撮影をしたりした。

rumi5.JPG

集合時間はまだまだ先だったが、僕たちは先に駐車場に行って、お客さんたちを誘導しなくてはならない。
名残惜しかったが、すぐに会場を後にした。(つづく)
posted by ぜごん at 12:46| 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

3度目のルミナリエ(その2)

バスは新神戸の長い長いトンネルを抜けた後、神戸市内に入った。
山陽本線のガードをくぐり、神戸の市役所などを過ぎると海が見えてくる。

僕らは「第一突堤」というところの駐車場にバスを止める予定だったが、ものすごい数の観光バスでどこにも停められない状態だった。
結局駐車場に到着する前にみんな降り、そこから各自がフリータイムとした。

僕は同行の人たちと神戸の街を歩いてみた。
今日は中華街も大変な人出である。

中心部を一通りぐるっと回った後、大丸の中にある甘味処「文の助茶屋」に入ってトコロテンとお茶で一服。田舎者の悲しい性か、こんなお店にも心がもときめいてしまう。

その後ゆっくり会場へ向かう。
大丸の前から既に列は始まっていた。

早くから並ぶのには理由があって、点灯の瞬間を見るためである。
誘導員の方は手慣れた様子で人の流れを誘導していく。

しかしかなりの人である。
大丸の前で完全に足止めを食らってしまった。
会場はこの先を左に曲がった奥である。
動かないうちにあたりは薄暗くなってきた。(つづく)

rumi1.JPG
posted by ぜごん at 23:05| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月16日

3度目のルミナリエ(その1)

昨年12月に仕事で神戸のルミナリエに行った。

仕事、というのはお客さんを連れての添乗である。
広島からだと高速経由で3時間ちょっとで神戸に着く。

山陽自動車道で2回、福山SAと三木SAで休憩を取った。
三木に着くと、もう既に僕らのほかに十数台の観光バスが並んでいる。
団体名の札を見るとほとんどがルミナリエ行きのツアーだった。
ガイドさんの話では、開催期間中、神戸市内へ入る観光バスは実に700台を数えるという。

サービスエリアを出て、程なく最初の見学先である「キリンビアパーク神戸」に到着した。

http://www.kirin.co.jp/about/brewery/factory/kobe/index.html

ここはまず入るとパンフレットと一緒に試飲チケット2枚をくれる。
その後係員のお姉ちゃんに連れられて工場内を見学するのだが、土曜日とあって工場は稼動していない。
それでもパネル等でビールの製造について一通り説明してくれるようになっていた。

見学のあとはレストランで簡単な食事が出る。
食事を済ませて、奥の試飲スペースに行くことにした。

席を探していると、知っている社長さんがいたので、そこで一緒に座った。
チケット2枚というのはおかわりも含めて2杯飲めるということである。これにブルボンの「味ごのみ」がつく。

仕事中だったが、まあ社長さんもちょっとぐらいいいじゃないか、と言ってくれたので1杯だけよばれた。
そうこうしているうちにツアーの皆さんが食事を終えて試飲スペースに集まってきた。

まもなく集合時間となり、一行はほろ酔い気分の中、バスに乗り込み一路神戸に向かった。(つづく)
posted by ぜごん at 23:10| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

パノラマ北海道絶景紀行(7)

稚内に着くと、既に夜だった。天候は良く、来るときのようにフェリーは揺れなかった。
稚内ではモシリパユースホステル、というところを予約してあった。
宿の人に、自転車で宗谷岬に行くといいよ、という話を聞いたので、次の日はレンタサイクルを借りて朝から宗谷岬を目指した。
標識には「宗谷岬32km」と書いてあった。

souya.jpg
宗谷岬まで平坦な道が続く。

稚内の市街地を抜けると、まっすぐな道が続いている。
あまり坂道もなく、気持ちのいいツーリングだった。
海岸にはハマナスの花や実がたくさんあった。

昼前に宗谷岬に到着。
ユースで聞いてきた間宮堂のホタテラーメンを食べる。あっさり塩味でなかなかの美味。
丘の上の展望台には望遠鏡が設置してあって、のぞいてみるとサハリンの山並みが見えた。
山の上に何ヶ所かポツポツと白い建物も見えた。
その後は「日本最北端の地」の碑の前で写真を撮った。

souyamisaki.jpg
せっかくの記念なのにこんな写真しか残ってなくて残念!

稚内に戻ってから、急行の発車時間までのあいだ、市内を観光した。
稚内公園に登って「氷雪の門」を見たり、西海岸のノシャップ岬にも行ってみた。

noshappu.jpg
写真はノシャップ岬の稚内灯台。
島根県の日御岬灯台に次いで全国2番目の高さを誇る。

アルバムはここで終わっている。
その後は再び札幌に戻って、友人とすすき野でホタテ貝や蟹の入った入りラーメンを食べに行ったり、小樽で廃線跡をたどりながらスタンド・バイ・ミーを気取ってみたり、函館の夜景を見に行ったりしたのだが、また写真が見つかることがあれば続きを書いてみたいと思う。(おわり)
posted by ぜごん at 06:45| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月28日

パノラマ北海道絶景紀行(6)

さらに道は続き、島の最南端、知床という町まで降りてきた。
ここは漁師町である。いたるところに網やガラスの浮きが置いてあった。
寒い地方特有の燃料タンクも家の脇に設置してある。

ryoushimachi.jpg

海をはさんだ向こうには利尻島が見えていた。

rishirienkei.jpg

ユースの人に別れを言って、香深港までやってきた。
港の前の食堂で昼に食べた「ホッケちゃんちゃん定食」はホッケを味噌で焼いたもので、白身に味噌がすごく合っていて美味しかった。
おみやげ物屋で利尻昆布を買って、宅配便で実家に送った。

今度はここから利尻島の沓形港へ向かうフェリーに乗った。
ほどなく沓形港に到着。駆け足でバスに乗り、島を4分の1くらい走って、鴛泊という港から再び稚内に戻った。

rishiritouchaku.jpg

バスでの移動の間中、常に利尻富士が見えていた。札幌のユースでここに登ったという人に出会ったが、島がまん丸に見え、海の向こうにははるか北海道が大陸のように横に細長く見えるらしい。(つづく)

【利尻到着】フェリーを降りてすぐ。目の前には利尻富士。
posted by ぜごん at 06:35| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月27日

パノラマ北海道絶景紀行(5)

展望台から、さらに尾根伝いに道がついている。
ここは「8時間コース」に対抗してか、「南の4時間コース」とも呼ばれる。
見渡す限り幻想的な、夢のような風景である。
海と空の青、そして緑のじゅうたん。
気持ちのいい風(少しきついくらい)が絶えず吹いている。
やがて元地灯台が見えてきた。

motoji.jpg
元地灯台

灯台のすぐそばまで行ってみた。
形が特徴的である。白黒二色のシブめの色づかいで、どことなくレトロな感じがいい。
かなりの昔からこの地域の夜を照らし続けているようである。(つづく)

motoji2.jpg
(要目も写したが文字が小さくて読めない・・・。)
posted by ぜごん at 06:31| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月26日

パノラマ北海道絶景紀行(4)

礼文ユースに連泊した次の日は、昨日とはうってかわっていい天気になった。
予定では香深港から利尻島に渡り、島を見たあとその日のうちに稚内に行こうと考えていた。
午前中時間があったので、宿の人と相談して、桃岩から元地灯台までのコースを歩くことにした。

桃岩は島の西岸にある巨大な岩で、形が桃に似ていることからそう呼ばれる。
展望台に立つと下の写真のような絶景が目に飛び込んできた。

momoiwa.jpg
右の大きいのが桃岩。真ん中の海の中にある小さな岩はネコが背中を丸めているように見えるため、「猫岩」と呼ばれる。

momoiwa2.jpg

ふと右の方を見ると、昨日通った8時間コースの山並みが見えた。
6月頃にくるとこの一帯に高山植物の花が咲き乱れているそうである。
(つづく)
posted by ぜごん at 06:57| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

パノラマ北海道絶景紀行(3)

稚内のフェリーターミナルから礼文島・香深港までは2時間10分の行程だった。
外洋に面しているため、恐ろしいくらいの揺れがあった。(天候が悪かったせいもある。)
瀬戸内海のフェリーしか知らない僕にとっては恐怖そのものだった。
船は木の葉のように波間に揺れる。まもなく強烈な酔いが襲ってきた。
客室内のじゅうたんにへばりつくようにして過ごした2時間の長かったこと。

香深港(何か名前が格好いい)に到着しても、しばらくは体が揺れていた。
駅前の食堂でウニ丼を食べた。予想通りの美味しさだったが、2,700円はちょっと高かった。

その日は礼文ユースホステルに宿泊。
着いた頃は閑散としていたが、レクリェーションの時間になるとほぼ満員の状態になっていて、一緒になった人と楽しい時間を過ごした。
宿の人が、ぜひ連泊して「愛とロマンの8時間コース」なるものに参加して欲しい。とすすめられた。
これは礼文島の西岸を8時間かけて徒歩で縦断する、といったもので、絶景あり、高山植物ありの大変魅力的なコース、とのこと。

朝5時頃起きて、バスで北の方に移動。そこから縦断が始まった。
東京の人が多かったが、旭川から来た人、香川県からバイクで来たおじさんまで多彩だった。

特に印象に残っているのは、澄海(すかい)岬というところ。
その名の通り断崖から見る海はかなり透き通ったブルーだった。言い方が悪いけど、どこからこんな鮮やかなブルーが湧いてくるんだろう?

8jikan.jpg
途中こんな傾斜のところも通ります。(ロープにつかまって斜面を降りる。)

8時間後、地蔵岩という巨大な岩があり、そこがこのコースの終点だった。
天気がいいとここは夕日が大変きれい、ということだったが、あいにく雲が空を立ちこめていた。
ただ不思議な達成感だけが漂っていた。

8jikan2.jpg
よく見えないが、地蔵岩をバックに記念撮影。
posted by ぜごん at 06:33| 広島 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月24日

パノラマ北海道絶景紀行(2)

その後、再び室蘭に戻り、札幌行きの特急に乗った。
札幌に着くと既に夜になっていた。ここから急行利尻で一気に稚内まで行く予定だったが、22時発までまだ時間があったので時計台を見に行ったりして過ごした。

22時、予定通り急行利尻は発車した。
車内の自動販売機では「ハスカップジュース」なるものが売っていた。
買って飲んでみたが、何やらプルーンのような味がした。
これも座席の夜行列車だったが、前日の疲れもありすぐに寝てしまった。

明け方目を覚ますと、一面の草原だった。ところどころに放牧の牛の白と黒が点々と見えた。
しばらくして急行が停まり、アナウンスが流れた。利尻富士が見えているとのこと。

草原の反対側に目をやると、海の向こうに富士山のように利尻島が見えていた。
程なく列車は稚内駅に到着した。時計を見ると午前6時。

rishiri.jpg
【急行利尻】この急行は今は特急に格上げになっているとか。

まだ8月なのにセーターがいるくらい寒かった。
ここからは目的地である礼文島に渡る予定だったが、時間があったので駅周辺を散策。
目に留まったのが北防波堤ドーム。これは戦前、列車から樺太へ結ぶ航路に乗り継ぐのに波を防ぐために作られたという。
今は当時のままに復元され、観光スポットとなっている。

bouhatei.jpg
【北防波堤ドーム】
posted by ぜごん at 06:39| 広島 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月23日

パノラマ北海道絶景紀行(1)

探し物をしていて、押入れのダンボールを出したら、大学時代、友人と北海道に行ったときの写真が出てきた。

その頃はやりのパノラマ写真なのだが、今見ても雄大な風景で、押入れの中に置いておくのがもったいないのでスキャンして公開したいと思う。(同時に、旅行の際に書いたメモも出てきた。それと一緒に振り返ってみることにする。)
______

まだ暑い平成3年8月27日、上野駅から今は廃止されている夜行急行「八甲田」に乗り込んだ。
座席急行で、これで朝まで過ごすのはかなり辛いものがあったが、安さには代えられなかった。
持ってきたウォークマンでラジオをつけると、文化放送の松尾貴史の番組が流れてきた。
21時45分、定刻どおり上野駅を出発。

夜半を過ぎて、仙台の長町あたりで列車は停まった。運転停車らしい。
外を見ると満月の夜で、瓦屋根が明るく光っていた。

やがて眠りにつき、朝4時過ぎだったか、外の明るさで目が覚めた。
盛岡駅だった。ひんやりとした朝の空気の中、田園風景に霧が立ち込めている。

やがて霧も晴れた頃、列車は一戸、二戸、三戸、八戸と順に停車し、陸奥湾が見えてきた。

終点の青森駅には9時8分到着。向こうの方に建設中の青森ベイブリッジが見えた。
ここからは「海峡3号」という快速に乗って青函トンネルをくぐる。

長いトンネルをくぐりぬけると、いきなり山の濃い緑が目に飛び込んできた。
続いて牧場のサイロ。何本も流れる小川の透き通った水。
これが僕の北海道の第一印象である。
津軽海峡沿いを列車は走り、やがて函館駅に到着した。

ちょうど昼になったので、駅構内で昼食をとることにしたが、何気なく頼んだイカヤキソバに小さいいかが丸ごと入ってきたのには驚いた。

予定では晩までに札幌に到着すればよかったが、時間があったので話しに聞いていた室蘭の地球岬を見に行くことにする。
「北斗」と名のついた特急に乗り、有珠山や大沼、噴火湾などを通って室蘭駅に到着した。

muroran.jpg
【室蘭駅写真】明治31年建築。今は新駅舎が完成し、この建物は保存されている。

ここからはバスに乗り、「地球岬団地」というバス停で降りた。ここからはかなり歩いた印象がある。
坂を上りきると目の前に海が開けた。真っ白な灯台も見える。地球岬である。(つづく)

chikyu.jpg
【地球岬】地球が丸く見えるから、というのが名前の由来というが真偽のほどは?
posted by ぜごん at 06:31| 広島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

四万十の河口から源流まで(7)

再びおじさんの家に戻ってきた。木洩れ日が眩しい。ここは自然がとても豊かで、じっとしているとホトトギス、ウグイス、トンビ、山バトの鳴き声が聞き分けられるくらいである。

おじさんは最後に、屋形船に乗せてやろう、と言った。おじさんの知り合いのいる屋形船は、30分ほど上流に行ったところにあった。ここは従業員は地元の人だが、経営者は東京の人だという。船は川を下り、有名な佐田の沈下橋のところで折り返す、というコースだった。

窓からは絵に描いたような新緑の風景が広がっていた。船の上で川エビの揚げたものから、ウナギの蒲焼き、そうめんを頂いた。鮎も焼いてもらったが、内臓まで苔の香りがしておいしかった。おじさんは鮎の正しい食べ方を教えてくれた。最初にしっぽを取ってひれを全部取り、箸で身をほぐす。そうして頭の部分を引くと細かい骨まできれいに取れる。

以前このあたりにはガラスの採石場があったそうだが、景観を守るために上流に移転したそうだ。ホタルの季節になるとホタル見物に6時過ぎまで屋形船が出る、と女中さんが言っていた。

 楽しい時間はまたたく間に過ぎ、帰りの特急列車の時間がきた。同じ中四国地方といえど広島まで実に5時間半かかる。おじさんは帰りがけに冷凍した鮎と近海で取れたイカを持たせてくれて、中村駅まで送ってくれた。3日間だったが、何よりの収穫は『最後の清流』に支えられて、生き生きとした老後を過ごす人に数多く出会えた事である。来るときに曇っていた空はすっかり晴れ、夏の気配がそこまできていた。(おわり)


simanto25.jpg
posted by ぜごん at 06:38| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月21日

四万十の河口から源流まで(6)

「杉とヒノキに見分け方を知ってるか。」おじさんは言った。「杉と比べてヒノキは葉っぱがペチャッとしている。」そう言われてみると、よく似ているが明らかに違う。
峠を下ったところに製材所があった。おじさんはここにいつも材料を仕入れにきているという。「高知県でもこの辺りは雪雲をさえぎる山脈がなく、関門海峡で筒抜けになるから、比較的雪が沢山積もるんだ。だから冬なんかこの坂を降りるときは凍っていていつもひやひやするよ。」

やがて四万十川が見えてきた。橋を渡ってここからは下流に向かう。江川崎という町で支流と合流する。ここでおじさんは昔、竹で筏を作って川下りをした話をしてくれた。ふと河原を見ると、色とりどりのカヌーやテントが見えた。山の上には、新しいホテルがいくつも建っていた。ここはかなり上流なのに、この川は流れがとても穏やかで、不思議なくらいだった。

simanto20.jpg
四万十川の支流、黒尊川。水が透き通っていて大変きれい。

simanto23.jpg
中村市に入って川幅は広くなる。浮かんでいる屋形船は皇太子夫妻も乗船されたという。

さらに川沿いを下流に進み、いよいよ中村市内に入った。ここでおじさんは、船大工の友達のところに立ち寄った。ここでは屋形船と食堂も経営しており、お店をのぞくと、おじさんの作ったテーブルがあった。おじさんは二言三言会話ををした後、河原に下りた。そこには屋形船が二隻停まっていた。ここで少し休んでいると、店のおばちゃんがお茶を入れて持ってきてくれた。もう日はかなり高くなり、上流の山々を照らしていた。 (つづく)
posted by ぜごん at 06:35| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

四万十の河口から源流まで(5)

―――四万十川の源流へ

3日目の朝、4時に琴の音で目が覚めた。見ると、おじさんが部屋にあった琴を弾いている。「おはようございます。今、琴で六段の調べを練習してるんだけど、全部弾けないの。まだ三段目か四段目くらい。」そう言って琴をしまうと、さらにこう続けた。「今日早く起こしたのは、お前を四万十川の源流に連れていってやろうと思ったんだ。」

早朝の海岸沿いを軽トラで走ると、海には今日も朝もやがかかっていた。ひとけのない中村市内を抜け、しばらく四万十川に沿って進んだ後、国道をいったん離れて一車線の県道に入った。地図でいうと大正町方面である。険しい谷にへばり付くようにいくつも家が建っている。道路の脇に中学校があったが、谷が狭いため校舎とプールを一緒に建てるスペースもなく、間が数百メートルも離れている。やがて家も少なくなり、車は峠に差し掛かった。おじさんは車を止めた。道路脇から見ると、その向こうに奥深い谷が広がっている。「ここが四万十川の源流だ。このあたりでは良質の杉やヒノキができるんだ。」おじさんはそう言った。この山が木とともに歩んできたおじさんを育んだ山なのだ。(つづく)

simanto22.jpg
ポスターなどでよく見かけるアングル。沈下橋も見える。(途中の橋の上から)
posted by ぜごん at 06:35| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

四万十の河口から源流まで(4)

みかんの山からの帰り、おじさんが四万十川の河口を見せてあげる、と言って、軽トラを河口近くの山の上まで走らせた。展望台らしきものがあったが、まだ建設中のようで、ブルドーザーが山を削っていた。ここからは手に取るように河口の様子、そして河口の町をを見ることができた。こうしてみると四万十川はかなり広い。

山の中腹に、『山みずき温泉』という建物があり、併設されている食堂にはいった。ここのおばちゃんはおじさんの大ファンである。おじさんが何か面白いことを言うと、その度に大笑いした。こういうのを見ているとこっちまで何だか嬉しくなってくる。ここで昼食をとって、温泉にも入った。この温泉は窓から四万十川の河口を望む事のできる、結構な穴場である。そのうちにホテルもできるということだった。

panorama.jpg

温泉でゆっくりした後、再びおじさんの家に戻って、潮が引いてきたのでいよいよムラサキウニを捕りに連れて行ってもらえることになった。どれくらい車で走っただろう、おじさんの秘密の海岸に出た。ここは河口の東側である。岩場には特産のアオノリ取りのおばちゃんが沢山いた。

「栄養をたっぷり含んだ四万十川の水が太平洋に出ると、今度は黒潮に乗って西から東に流れていく。だからここは西側と比べて何でも大きく育つんだ。」おじさんはそういって岩場に入っていくと、刺々しいムラサキウニを捕まえた。なるほど思ったよりかなり大きくかった。僕も探してみたが、磯のあいだに隠れていてすぐには見つからなかった。「おっちゃんはウニ取りの名人やきん、よう教えてもらい。」とアオノリ取りのおばちゃんが僕に言った。

ものの1時間ほどで、白いバケツがウニやトコブシでいっぱいになった。僕の捕ったウニはどれも小さすぎて、結局逃がすことになった。おじさんはウニを一つ開いて、中の卵巣を取り出した。それを持ってきたスプーンに乗せて塩水で洗い、僕に食べさせてくれた。一口で体に電流が走った。新鮮とはこういうことを言うんだなぁ、としみじみ思った。

おじさんの家に帰ってからも、奥さんに手伝ってもらい、取ってきたウニから卵巣をすべて取り出したらウニ丼3人前分ぐらいあった。とてもおいしかったが、体に合わなかったのかその晩下痢をしてしまった。(つづく)
posted by ぜごん at 06:31| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

四万十の河口から源流まで(3)

2日目、朝早く起きて、近所を案内してもらった。軽トラで海沿いの道を走ると、一面朝もやがかかっている。関西ナンバーの車がたくさん止まっていて、よく見るとサーフィンをしている人が沢山いた。キャンプ場にある食堂で朝食をとった後、もっとも河口の橋を渡り、足摺岬に行く途中にある炭焼きをしているおじさんの友人の家に行った。

ここには一つの山全体にみかんの木が植えてあり、何やらニワトリがたくさん放し飼いになっていた。「ニワトリのフンがみかんの肥料になって、しかも卵も産んでくれる。一石二鳥だよ。」とおじさんが言った。おじさんはここで自宅で採れた野菜と産み立ての卵、そして、材木を乾かすのに使う炭を物々交換した。おじさんの友人は炭で真っ黒になった顔で、僕に「広島の人ですか。まあこんなに遠くまで。」と言った。5月の日差しが穏やかにみかんの山を暖めていて、何だかうらやましい光景だった。(つづく)

simanto09.jpg
よくわからないが、サーフィンをしている人が沢山いる。

simanto12.jpg
高知方向を望む。こちらはゴツゴツした岩肌に波が打ち寄せる。
posted by ぜごん at 05:30| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

四万十の河口から源流まで(2)

前日までの雨は上がったものの、空はすっきりしなかった。高知駅をすぎると、山の向こうにちらほら太平洋が見えてきた。
土佐くろしお鉄道に入ると、目指す終着駅中村駅(当時)はすぐそこである。

simanto04.jpg
土佐くろしお鉄道から見た太平洋。思ったより波が穏やか。

岡山から走ること4時間あまり、特急南風号は中村駅に到着した。おじさんは軽トラで迎えに来てくれていた。人口3万5千人の小さな町で、市街地を抜けるとすぐに大きな川に出る。四万十川である。土手の砂利道を砂ぼこりをあげながら下流に向けて走ると、15分ほどでおじさんの住んでいる町に着く。

おじさんのお宅はここからさらに森の中の林道を抜けた先にあった。ここは約30年以上前、おじさんが新婚当時、週末を過ごす「隠れ家」として自分で建てたもので、いつの間にか家族で住み着いてしまったという。子供さんの手も離れ、ここで市内に住む仲間と木材を加工した様々な製品を作っている。おじさんと京都で出会ったのは、おじさんがその工芸品をデパートの物産展に出品に来ていたからなのである。おじさんのオリジナル製品もたくさんあり、今や京都を始め全国に多くのファンがいる。

simanto11.jpg
季節の花が庭を彩る。遠く太平洋も見える。

おじさんは庭に植えてある木を見つけて歓声をあげた。「オガタマ」というカラタチのようなとげのある木で、そこに小さな蝶の幼虫が何匹もいる。「この木は植えとくとミカドアゲハの幼虫がつくからといって友達からもらったんだけど、やっと生まれたらしい。そのうちここが蝶でいっぱいになるかと思うと楽しみだよ。」年は僕のの父親より一回り上であるが、どことなく無邪気なところがこのおじさんの魅力である。

その晩は僕の持ってきた地元のお酒で夜遅くまで盛り上がった。(つづく)
posted by ぜごん at 06:40| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月16日

四万十の河口から源流まで(1)

以前、知り合いを訪ねて高知県の中村市(現・四万十市)を訪ねたことがある。

仕事で京都に1週間ほど行くことがあり、そこで出会った60歳代半ばのおじさんと何度か一緒に食事をする機会を得たのが事の始まりである。

そのたびに四万十川が太平洋に流れ込む河口近くにあるという彼の自宅の話を沢山聞かされた。

一度は訪ねてみたい、そう思いつつ京都を後にしたが、そのうちに仕事もじきに忙しくなって忘れかけていた。それが一本の電話で一気に現実のものとなった。

受話器を取るとおじさんからで、今、近くの海でムラサキウニが良く採れるから、ぜひおいで、とのこと。

「さっき2階に上がったら、いい満月でね、このお月さんが欠けたらもうウニは産卵を始めてしまって、食べられなくなる。だからすぐおいでよ。」
 
このひとことにつられて僕は、その週の金曜日、有給休暇をとって、とるものもとりあえず、岡山発特急南風号に乗り込んだ。

(つづく)
posted by ぜごん at 08:16| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

ちょっとコラム風に

大学受験の帰り道、高架を走る電車の車窓から下に延々と続くけやき並木が目に映った。その先に何があるのか、どうしても気になって降りてみた。

商店街を抜けると、そこには名も知らぬ巨大な神社が現れた。初めて訪れたのにどことなく親近感の感じられる街で、進学が決まると迷わずそこに下宿先を決めた。

毎年5月になると、その街ではお祭りがあって、夜になると市内の六つの神社に収められたお神輿が大勢の担ぎ手によって一斉にその”巨大”な神社に集結した。六ヶ所に散らばっているこの街の「神様」がこの日だけは一つになる。市民はみなその大役を成すことに誇りを持っていて、同じ掛け声、同じハッピで、朝まで盛り上がるのだ。

普段はバイト先で一緒にバカをやっている仲間達も、ちょっとヤンキー入ってる店長も、この時ばかりは真剣に祭りの一員となっている姿がうらやましかった。

先日、久しぶりにその街を訪れた。再開発の波で、駅前はかなり様変わりしていたが、神社へと続くけやき並木と商店街はきれいに残っていて、何だか懐かしかった。馴染みの顔と二、三言葉を交わした後、故郷を離れる「寅さん」の心持ちで街を後にした。

namiki.jpg
____________

先日書いた「めぐり合わせの妙」の番外編で、ちょうどその頃書いたもの。
パソコンの中に転がっていたので貼ってみた。
posted by ぜごん at 06:56| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月29日

不思議な偶然(2)

その次に大家さんを訪ねたのは3年後の平成12年の夏である。
友人の結婚式があって、上京したついでに寄ってみた。

駅から歩いてくると、かなり町並みは様変わりしていた。
かつて雑木林だったところはマンションが建っていた。
しかし下宿の隣の神社はそのままで、蝉がうるさく鳴いていた。

呼び鈴を鳴らすと、おばさんが出てきた。前のようにお土産を渡して、「おじさんは元気ですか?」と聞くと、「おととし亡くなったのよ。」と言う。

すぐに上がらせてもらい、仏壇にお参りさせてもらった。遺影は確かに昔のおじさんのままだった。
おばさんの話では、前に行ったとき既に病んでいて、入退院を繰り返していたのだという。
たまたま僕が訪ねた日は一時帰宅していたそうだ。

年が明けて3月ごろ、少し調子が良くなったので家に帰ってきていたが、ちょっと無理して自転車で外出した際にバランスを崩して転倒してしまい、そのときの怪我がもとで寝たきりの生活になってしまったという。

寝たきりになって、自力で食事が取れなくなると人間は弱い。

バブル崩壊のおかげか、土地の値段もがた落ちで相続税も全然かかんなくて済んだわよ、とおばさんは笑って言った。
(まあこれは子供さんの代に行くときにまた課税されることなんで何とも言えないが。)

「ちょうどおそばを作ったんで食べてかない?」とおばさんが言ったのでよばれることにした。
そばは細麺で美味しかった。神社の蝉はさらにうるさく鳴いていた。

しかし、前のときにたまたま友人の一人が来れなくなって、お土産が一個余ったことから大家さんを訪ねたわけだが、おじさん自体もたまたま家に帰ってきていて、運よく話をすることができた。

何か偶然とはいえ不思議なめぐりあわせってあるもんなんだな。
この時期になると時々思い出す。
posted by ぜごん at 06:56| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

不思議な偶然(1)

大学の頃の下宿は、大家さんが1階に住んでいて、僕は2階に2部屋あるうちの一つに住んでいた。

落語研究会のあと、2年から4年までは音楽系のサークルに属していて(このことはまた機会があれば書くことにする。)、卒業してからも何年かの間、年に1回は広島から後輩の定期演奏会を観に行っていた。

平成9年だったか、定期演奏会の翌日、別の友人数人と会う予定にしていたが、そのうち一人が急用で来れなくなった。
そんなわけでお土産が一個余ってしまったので、その後で久しぶりに大家さんに会いに行くことにしたのである。

都心から私鉄に乗って25分、郊外の住宅街にその下宿はある。
もう夜になっていたが、急な訪問にもかかわらず大家さんご夫婦は温かく迎えてくれた。
僕がお土産を渡すとたいそう喜んでいた。

その時はそれで帰ったけど、おじさんの方はこれが最後になるとはその時思っても見なかった。

(つづく)

posted by ぜごん at 12:45| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。