2010年11月30日

竹灯りに誘われて大分・臼杵へ

11月6日・7日に大分県臼杵市で開催された、「うすき竹宵」に行って来た。

去年の職員旅行で同僚の人と臼杵市を訪れた際、パンフレットなどでこのイベントのことを知り、ぜひとも訪れたいと思っていた。

東広島駅を朝早い新幹線で出発し、小倉駅で水戸岡鋭治氏デザインの883系・特急ソニックに乗り換える。乗車前に名物のかしわ飯を買い、九州の遠い山並みを眺めながら食べた。

別府駅で特急にちりんに乗り換えて、臼杵駅に着いたのは午前1時過ぎ。ここでパンフレットを入手。昼間のうちに各ポイントを押さえ、午後5時の点灯時間を待った。

八町大路という、市内の目抜き通りには飲食スペースが設営されたり、各商店ではこのイベントにちなんだグッズを売ったりと盛り上がっていた。そして4時半も過ぎると何やら一斉に盛り上がり始めた。

そこからはめくるめく竹灯りの世界。市を挙げてのイベントで、どのオブジェも素晴らしかった。旧真光寺の室内に設けられたオブジェの見学には長い行列が出来、40分待ちだった。

竹原市の「憧憬の路」はこのイベントを参考に始まったと聞く。ただ臼杵の場合は14年目を迎えてなお衰えを知らず、すっかり市民のまつりとして定着しているのだ。第1回(2003年)から第8回(2010年)まで、何らかの形で憧憬の路に関わっている自分としてはこの臼杵の情景こそまさに「憧憬=あこがれの風景」だった。

その日は大分の東急インに泊まり、翌朝別府温泉にちょこっとだけ浸かり、門司港のレトロラインで海風を感じつつ、鉄道記念館にも立ち寄って足早に帰ってきた。去年の1日と、この2日間を通して、縁もゆかりもない臼杵の町が自分に身近な存在として急接近してきたことだけは事実である。
posted by ぜごん at 22:45| 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

雨の中のロウソクの火

10月30・31日で「憧憬の路」が開催された。僕は町並み保存センターの裏にいたが、時々写真を撮りに出かけたりして、あまり真面目にお手伝いしていたとは言い難かったかも知れない。

31日は朝から雨だった。午後4時半を過ぎた頃、多少小雨になったので、少々早かったが一緒の人と申し合わせて点火をすることにした。時折雨のしたたる中、点けては消え、点けては消えを繰り返しているうちに、あることに気が付いた。

どうも、消える原因というのが降ってくる雨のせいばかりじゃない、ということだ。降ってくる雨が火に当たって消えることは少なく、むしろロウソク本体に付いた水滴に火が当たったり、燃えているうちにそこまで達することが原因で消えているようなのだ。

だからチャッカマンの炎を多少長めに芯に当て、周りの水滴を蒸発させるようにして点火するとロウソクの火が比較的長持ちすることがわかった。

考えてみると人生というのも似たようなもので、外から降りかかってくる災難ばかりを気にする傾向にある。もちろんそれから身を守ることも大切であるが、実は自分の身の回りのこと、自分の内面の湿っぽい部分がうまく行かない原因だったりするのかも知れない、深まる秋の空気の中、そんなことをふと考えていた。
posted by ぜごん at 23:52| 広島 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

秋風の記憶

日曜日、久し振りに家にいて昼食後ウトウトしていていた。

夢の中で、昔父と登った石川県羽咋市近くの宝達山にいた。
能登半島の付け根のあたりにある山だ。

山頂まで上がると、西側に海岸線が見え、日本海が白波を立てていた。
山の中に入っていった父がアケビの実を取って戻ってきた。
それを食べるとバナナのような甘い味がした。しかし種が多い実だ。
父と弟と一緒に、食べては種を吐き出しつつ、いつまでも波の打ち寄せるのを見ていた。
時折通り過ぎるのは国鉄七尾線のディーゼルカーだ。
視線の向こうには能登ロイヤルホテルの白い建物も見える。

これは夢だよな。夢にしては鮮明すぎる。そんなことを考えながら目が覚めた。
窓からはさわやかな秋のそよ風。その風がキンモクセイの香りを運んできた。
もしかしたらその香りが30年近く前の記憶を呼び覚ましたのかも知れない。
posted by ぜごん at 21:55| 広島 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月31日

8月の終わりに

明日から9月。例年通り失意の9月。異常な暑さは今なお続いているが、8月も下旬となるとすでに秋の虫の大合唱が始まった。彼らはきっと冬の到来からさかのぼって、自分達が鳴くべき時を見定めているに違いない。

暑いから、苦しいからと自分の鳴くべき時を見誤っていると、いずれ時代から取り残されてしまう。すでに発車のベルが自分の中で鳴り響いている。そろそろ潮時なのか。
posted by ぜごん at 23:10| 広島 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月30日

猛暑の中、年金について考える。

『32年前死亡か 部屋に新聞 111歳男性遺体』

こんなニュースがテレビの中を駆けめぐっている。
この人は明治32年生まれだそうだ。

うちの母方のばあちゃんは明治33年生まれ。
平成13年に100歳で亡くなっている。
ということは婆ちゃんが生きてたら110歳なのか。

この10年で世の中はすっかり変わった。
100歳だけど大相撲で関取の名前はほぼ完璧に覚えていた。
98歳くらいまで台所に立っていた。
今の相撲界の不祥事を見たら何て言うだろうか。
100歳になった年の敬老の日、市長さんから記念品を贈られている写真が地元新聞に載った。この市長さんももうこの世の人ではない。

32年間、家族はどんな思いで押し入れの中の実の親を隠し続けてきたんだろうか。
時々恐る恐るチラ見してたんだろうか。想像するたびゾッとする。

読売テレビの辛坊さんが以前指摘していたように、年金受給の権利が失われるのを恐れて何十年も家族が死亡届を出さずにいる、といった事態はまだまだ探せば出てくるのかも知れない。

仕事で良く話をするお客さんは現在70歳代であるが、若い頃サラリーマンをしていて、その技術をもとに独立開業した。昔はそんなに年金年金と言わない頃で、気がついて掛け始めたときには遅く、遡って払っても受給には数年足りない状況だった。そんなとき社会保険事務所に行って加入履歴を調べたが、昭和30年代に勤めていた会社の履歴が3年ほどなかったのだ。

本人曰く実力を買って引き抜いてくれた人で、意図的に掛けない、というようなことがあるはずもない。定かではないが給料から天引きされていた記憶もある。その後息子さんが経営している山口県のその会社に問い合わせたのだが、もう既に資料と呼べるものは残っていなかった。第三者委員会にも相談をしてみたが、うまくまとまらなかった。

今は不景気で親会社から単価を極限まで下げられて営業を継続することも容易ではなかった。いつまでも「あるはずの権利」にしがみついている暇はなかったのだ。最終的に彼の下した判断は今の事業を法人化し、68歳になっても、69歳になっても掛け続けてとりあえずの受給権を確保する、といったものだった。それで今何とか年金をもらっている。

「消えた年金」の問題にしても今回の事件にしても行政がしっかりしていればかなりの部分で防げたに違いない。
あと、25年の要件もいくらか緩和して、もっと掛けた人が報われるような制度にしていかなければ、未納の問題も解決しないと思う。
正直言って、年金の免除者のために税金がどんどん注ぎ込まれるのも自分はあまりいい気がしていない。
何か画期的な解決方法ってないもんかね?
posted by ぜごん at 06:39| 広島 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

CATVのセットトップボックス

うちの市でやっているケーブルテレビでBSデジタルを見るためにはセットトップボックス(以下STB)という機械を付けなければならないらしい。
その機器のレンタル料がこの4月からを月1,050円から525円に下がったというので、先週ケーブルテレビに電話をして取り付けを依頼した。

土曜日の昼、ケーブルテレビと契約している近所の電気屋さんが取り付けに来てくれたのだが、STBという機械は、たちまち(広島弁)BSデジタルを見るためだけの機械らしい。テレビやDVDレコーダーとは連動しておらず、録画するにはSTBからDVDレコーダーなんかに一旦出力して、見たい番組の時間に合わせてSTBを起動し、それに合わせてDVDレコーダーも外部入力から録画するように予約しなくてはならない。(つまりはSTBとDVDレコーダーを同時起動、という面倒なことをする必要がある。)
それでもデジタル画質では録画できないようだ(アナログのテレビ並み。普通に見る分には充分な画質だった。)
テレビのリモコンに付いてる「BS」のボタンを使ってBSデジタルを見たりするにはやはり別にBSアンテナを付けなければならないようだ。

ただ月525円の追加でこれだけのチャンネルを視聴できるのは魅力的である。
posted by ぜごん at 21:28| 広島 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

椎名誠が選んだ”旅の本”20冊

・河童が覗いたインド  妹尾河童   新潮社
・奥地への旅  L・ヴァンデル・ポスト  ちくま叢書
・大西洋漂流76日間  スチーブン・キャラバン  早川書房
・コンティキ号漂流記  ヘイエルダール  ちくま叢書
・白ナイル  アラン・ムアヘッド  ちくま叢書
・風の博物誌  ライアル・ワトソン  河出書房新社
・アフリカの白い呪術師  ライアル・ワトソン 河出書房新社
・アフリカの日々  アイザック・ディネーゼン  晶文社
・二年間の休暇  ジュール・ヴェルヌ  福音館書店
・悲しき熱帯(上・下)  レヴィストロース  中央公論
・ヴェガ号航海誌1878〜80(上・下)  A・E・ノルデンシェルド  フジ出版社    
・さまよえる湖(上・下) ヘディン  岩波文庫
・われらをめぐる海  レイチェル・カースン  早川書房
・北極点グリーンランド単独行  植村直己  文春文庫
・恐るべき空白  アラン・ムアヘッド  ハヤカワ文庫
・ちょっとジャングルへ  ティム・カーヒル  冬樹社
・信じられない航海  トリスタン・ジョーンズ  舵社
・ゴーゴーアジア  蔵前仁一  凱風社
・南米諸王国紀行  ウリョー・アフワン  岩波書店
・絵で見る比較の世界  ダイアグラム・グループ編 草思社

もう15年以上前、学生時代に椎名誠さんの写真展に行ったときに展示されていたパネルを書き写していたのだが、この間部屋を掃除していたら偶然発見した。これから何かの参考になるかもしれないので、もう一度書き起こしてネットに載せておきます。
posted by ぜごん at 06:42| 広島 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 記憶の断片 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月30日

歴史小説はあまり読まなかった。

僕の父親は大学で国際法を教えていた。

1987年、高校1年の時、ちょっとした病気で検査入院したときに、父のゼミの学生さんがお見舞いに来てくれて、暇をもてあましている僕に一冊の本をくれた。

司馬遼太郎「竜馬がゆく」の第一巻である。

当時僕は県外のラジオに夢中になっており、あまり本を読まなかった。ましてや歴史小説など、という感じで、その学生さんには悪かったが入院中は愚か退院してからも一冊も読み通すこともしなかった。

その後、4巻の途中、勝海舟が神戸に海軍塾を開いた頃に21世紀を迎えた。
それからはまったく開いてなかったが、今年、大河ドラマで「龍馬伝」が放送されるのを機に、久し振りにその4巻を開いてみた。「平成12年 発行」と書かれたその本は既に黄ばんで古臭い匂いがする。

その後得た予備知識も手伝って、今回は素直に読み進めることが出来た。不惑の年も近くなり、司馬さんのリズミカルな文体も小気味良く感じられるようになっていた。そのうち、ある記述に目が止まった。

同郷の藩士が龍馬に会ったとき、龍馬は短刀を差していた。その藩士が尋ねると、長刀では動きにくいだろう、と答えたそうで、その後藩士が短刀を手に入れて差していると、今度は龍馬は今はそんなのは時代遅れだ、とピストルを持っていた、というのだ。最後に藩士がピストルを手に入れて龍馬に会いに行くと、「ハハハ、俺は今は(武器じゃなくて)これだよ。」と万国公法(当時の国際法)の本を見せた、というのである。

この話は万国公法の部分からは事実かどうか分からないらしい。
しかし幕末、国を治めるのに武器より法律が有効な手段になってきた、いわば時代の変化を端的に伝えているエピソードである。

あの学生さんが僕に見せたかったのはこれだったのか、と思った。
父も専門の本以外、小説などほとんど読まなかったから、この話を知っているかどうかは分からない。
ただ父が一生かけて選んだテーマの意味がちょっとだけ分かったような気がする。
posted by ぜごん at 22:51| 広島 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

e-Tax4年目でちょっと注意すべきこと。

家族の確定申告で今回も国税庁のe-Taxを利用した。
用紙の入力のしにくさは改善されてないが、毎年同じような入力なのでもう慣れてさほど苦労はしなかったが、いざ住基カードを入れて入力したらなぜか「期限切れ」の文字が表示された!

カード取得は平成19年3月2日となっており、カードの表面に書かれた有効期限は10年後の日付なので、まだまだ大丈夫だと思っていたが、どうも住基カードの期限というのが3年だったようで、今回3月10日頃に送信しようと思ったら「使えません。」と出てきた。

おかげで「これなら直接税務署に提出した方が早かったね。」なんて言われながら本人に頼んで、住基カードの更新をしてきてもらった。更新自体はものの30分ほどで済んだようで、その日の晩に新しいカードで認証(これはあっさりできた)、送信できたが、その後、再びエラーメッセージが返ってきた。

確認するとe-Taxソフトに用いる認証システム(いわゆるハンコ)はあらかじめ登録するようになっているが、カードを変えると再び更新する必要があり、それが済んでいないため、新しい住基カードじゃ認証できなかった、というのだ。
仕方ないので、e-Taxソフトを操作して何とか更新、その後決算書と申告書を送信することができた。

慣れたらどうってことないんだろうが、何年経っても相変わらず使いにくいシステムだ。
posted by ぜごん at 23:22| 広島 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

月華厳島

故・平山郁夫氏の作品に「月華厳島」というのがある。
初めて見たのは、三越だったか、デパートの展示会場だった。
宮島というと朱一色、というイメージがあるが、この作品は夜、月に照らされた厳島神社本殿で、とにかく青い。全体が深い青である。後はつり下げられた灯籠にいくつか黄色い灯がともされているだけである。(下記リンク)

http://www.hirayama-museum.or.jp/exhibition/index.htm

この画像では分かりにくいが、これを初めて見たときはこの繊細な青に背中がゾクゾクッとした。海面の緩やかな波が今にも動き出しそうだった。実際見るとこの画像では分からないくらいの細かな濃淡も分かる。
じっと見ていると、デパートの展示会場から離れて、この夜の厳島神社の回廊を歩いているような錯覚に襲われた。

その次にこの作品を見たのは瀬戸田の平山郁夫美術館が平成9年に開館して、全国の主だった作品を集めて開館特別展をやったときである。このときは、ほぼ同じ大きさの昼間の厳島神社も横にあって、その対比が素晴らしかった。

今回、3月1日(月)から4月6日(火)まで、今は尾道市となった平山郁夫美術館で「特別展 日本の伝統美を描く 平山郁夫展」が開催され、この作品が再び展示される。機会があればぜひこの作品を見てみて下さい。パソコンの画面やパンフレットでは分からない存在感が味わえます。おすすめです。
posted by ぜごん at 22:44| 広島 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 瀬戸内の奥深くへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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